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まつ毛が長いといわれても
訪問入浴の女性スタッフや看護師さんたちから、「まつ毛が長いですねぇ」とうらやましがられるときがある。子どものころから、施設のスタッフの人たちも同じように言っていた。
六十代に入ったおじいちゃんをおだてても、「喜びませんよぉ」と思いながら、やっぱりうれしい。
一人暮らしを始めてから、ずっと入浴サービスのお世話になってきた。
最初は市立の障害者センターの中の機械浴を利用していた。
その後、閃光のように走る五十肩の痛みで身動きできなくなった時期から、訪問入浴へと変更した。
この間、二十五年あまりの中で、入札によって七~八社のスタッフさんと関わった。
それぞれにカラーは違っていて、誠実系からお笑い系まで社風だったり、営業所ごとの個性だったり、バラエティーに富んでいる。
実際に遭遇しなくても、死ぬまで忘れられないほど強烈なエピソードを聴いたことがある。
そのころお世話になっていた営業所の所長さんは、いまのぼくのように頭の上部にほとんど毛が生えていなかった。
ある朝、彼はビニール袋に湯戻ししたワカメを提げて、出勤したという。
最初に訪問するお家の障害者の人は、「よしもと新喜劇」の大ファンのオッチャンだった。
その日は、オッチャンの誕生日だった。所長さんはとびっきりのプレゼントを準備した。
入浴車がお家に近づくと、おもむろに湯戻しワカメをハゲアタマに乗せ、レゲエシンガーさながらに大変身を遂げてみせたという。
「おはようございます」と部屋のカーテンを開けたときのオッチャンの驚きと喜びは、ぼくには想像できないほどだ。
このエピソードを聴いて、ぼくは「これぞ、プロ!」と、参ってしまった。
「ぼく、中学校を卒業するまでに、世の中の悪事を全部した」と話してくれた若者は、不思議な安定感と包容力を携えていた。
小学生だった自慢の二人の娘さんを紹介してくれた看護師さんは、二十年近くぼくの通う作業所のパンを注文しつづけていただいている。
新体操に励んでいた娘さんたちも、社会人になったという。
ふり返れば、無数のタイプの人たちにお風呂のお世話になった。
もちろん、うまく仕事に慣れないまま、短期間で辞めていった若者もいた。
あるスタッフの言葉に出逢うまで、ぼくはひとつの疑問をずっと考えつづけていた。
立てつづけに何人ものお風呂の介助をして、なぜ、この人たちはこんなに活き活きと働けるのだろう?
どの事業所に変わっても、やりがいをもった姿勢は共通していた。
ぼくのような大柄のお年寄りや障害者を抱えることもあるだろうし、骨が折れやすかったり、医療的に気遣ったり、繊細さが必要な方もいるだろう。
そんな疑問をベテランスタッフにぶつけてみたことがあった。
意外に答えは明快だった。
「お風呂の介助をしていると、みるみる体がきれいになっていくし、ほとんどの人が気持ちよさそうな表情になる。目に見える変化は大きいですよ」
とても納得してしまった。
それと同時に、作業所のスタッフやヘルパーさんたちのモチベーションを保つ難しさを想った。
トイレも、着替えも、毎日の作業も、悪く言えば「変わりばえ」しない。
当たり前の暮らしのサポートに、感動など必要ないのかもしれない。
そういえば、養護学校のころ、些細なことによろこぶ先生たちをみて、醒めた気持ちになったことがあった。
お客さんがきた。
夕食の準備もできた。
一人ひとりが集まりや個人との関係の中で、感情を抑えるところはおさえて、折りあったり、接近したりしながらそれぞれの相性を見極めていくしかないのだろうか。
障害の有無に関わらず、相性はある。おたがいに無理はしないほうがよい気がする。
えらく人間くさくなった。これも、入浴サービスのあの所長さんを思い出したからだろうか。
二十年近く前、五十歳を過ぎた彼は現役のサーファーだった。
七十歳を過ぎたいまも、まだ現役なのだろうか。