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草の実と永井くん
草むらに、ぼくは寝かされていました。
空は薄曇りでしたが、それでも寝不足の眼にはまぶしく感じていました。
半袖Tシャツ一枚だったので、いくつかの種類の雑草が両腕と背中にチクチクして、気持ち良くはありませんでした。
それに、ムシに刺されないかとそればかりが心配でした。
しばらくして、大きなお腹をいばらせて、永井くんが現れました。
目立つ存在ではないのに、なぜかぼくだけのトレードマークになっている小さな瞳をパチパチとまばたきさせながら。
ベージュの作業ズボンに、昔ながらの白いチヂミのシャツを着ていました。
ぼくのそばへしゃがんで、永井くんは両掌の山盛りの赤紫のちょっとトゲトゲした小さな実をこぼれないように顔のそばへ差しだし、「食べてみぃひん?」とひと粒つまみあげました。
どこかで覚えのある舌触りと甘酸っぱさでしたが、どうしても名前が出てきません。
思い出そうとして、「う~ん」と声が出てしまいそうになりながら力んでいました。
それだけで、全身から汗がじんわりと滲んでくるようでした。
気がつくと、視線の先には白みかけた明け方の窓がありました。
今朝の夢ほど、ハッキリと感覚の残るものは久しぶりでした。
目が覚めてからも、小さなトゲトゲした実の名前が思い出せずに、いろいろな記憶をたどりつづけていました。
すっかり昼夜逆転が身についてしまったぼくは、朝食のあとヘルパーさんにストレッチとマッサージをしてもらいながら、居眠りと呼ぶには深い寝息をしていたようです。
壁にかけられた電波時計に目をやると、もうお昼前でした。
ぼくはいま、自分自身で設定した「車いすに五時間乗り続けられるようになる」という以前の生活スタイルから比べれば、「六割復帰」の目標に向かっての日々を過ごしています。
現段階は「一日に二時間十五分」を目安に奮闘していて、すぐに車いすへ乗らなければ、パソコン入力チームのヘルパーさんの日だというのに、noteへ投稿する時間の余裕がなくなってしまいます。
ちなみに、文章をつくるときは、ぼくがベットに寝た状態でアームに取りつけられたタブレットを見ながら、ヘルパーさんがカーテン越しに言葉を聴き取り、こちらと接続されたパソコンに入力するようにしています。
ということで、車いすに乗ったついでに近所のスーパーへお昼ごはんと眠気覚ましのコーヒーを買いに行き、帰宅したころに「思い出しましたぁ!」。
甘酸っぱいあの実の名前を!
そうです。野イチゴだったんです。
三~四年前に夜の会議へ向かう道で、ヘルパーさんが「これ知ってるぅ?」と口へ放りこんでくれた「甘酸っぱい実」だったんです。
あのとき、ぼくにとって野イチゴは初体験でした。
どこにでもある線路沿いのちょっとした草むらでした。
ところで、小さな瞳がトレードマークの永井くんについては、謎の人物にしておきます。
ただ、実物も引き出しの多さと深さでは、他の追随を許さない包容力の塊のような人であることに違いはありません。
ぼくの中で、いつも永井くんは、彼ではなく「永井くん」でありつづけています。