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たんぽぽサラダ

 その焼き肉屋に店名はなかった。
 
 夏の夕方だった。
 役所での会議の帰り、たまらなくノドが渇いていた。
 飲食店らしい赤色の軒の庇には何も書かれていなかったし、店先に看板らしきものも出てはいなかった。
 ただ、ガラス戸の隅っこに「キムチ販売しています」と、広告のウラ紙に見過ごすほどの細マジックで書かれてあった。

 あまりの商売っ気のなさに「キムチ販売」が、ぼくの足を止めさせた。
もっと正確に記せば、電動車いすのレバーから指先を離させた。
 人の気配が感じられたので「すいませ~ん!」と中に声をかけると、頬の張った四十代前半に見える女性がエプロン姿で現れた。
「なんか、用ですか?」
日本で育った人のイントネーションではなかった。
「キムチ買いたいんですけど、どれぐらいの量でおいくらですか?」
訊ねると、硬い表情の目もとが緩んで、お客さん対応の雰囲気に変わった。
「白菜キムチは五百グラムで三百五十円です。だけど、ウチのは辛いよ!大丈夫か?」
彼女の言葉尻に芯の強さが感じられた。
「ぼく、辛いの得意だから」と応えると、今度は目もとだけではなくて満面の笑顔になった。
「ちょっと心配だけど、言葉を信じるしかないわな」
ぼくがオーバーアクション気味に頷くと、
「それじゃ、キムチ取ってくるな。五百グラムで大丈夫な」
店の中へ体を半回転させながら、ぼくに確かめてくれた。
「大丈夫!」
ぼくは「辛さ」も混ぜこぜにした気持ちを返した。

 ほどなくして、彼女がビニール袋に入ったキムチを提げて、店の奥から小走りに戻ってきた。
 財布の場所を説明したり、おカネを確かめたりしていると、赤いランドセルの女の子が交差点のほうから走ってきた。
 西日を背にして走ってきたので、最初は影のようだった。
夏の夕方だったということと、まだ開店していなかったことを考え合わせれば、「影」には無意識の脚色が添えられているかもしれない。

 おカネのやりとりをしているふたりに駆け寄った女の子は、息をはずませて彼女に話しかけた。
「おかあさん、この人、この間、学校に来てお話してくれたおっちゃんやで!」
 ぼくは照れくささをこらえて、ランドセルの子に「そうやったんかぁ」と応えた。
 女の子は彼女に話しかけているし、ぼくは女の子に応えている。
さらに、彼女はぼくに「ありがとうございます」と、お辞儀をしていた。

 思い返すと、ユカイな風景だったに違いない。
それにしても、ぼくにとって彼女の娘さんの登場は、素直にありがたかった。
 もともとのもう一つの目的だった「ノドを潤す」ことを、とてもお願いしやすくなったのだった。
実は、キムチを取りに行かれるときに頼めばよかったと後悔していたのだった。
 こうして冷えた麦茶をいただき、いつの間にか常連さんになった。

 面倒くさがり屋のぼくは、正確な制度のスタートを調べようとは思わない。
 そう、だいたい二十年近く前、障害者関係の制度の枠組みが大きく変更され、いまと比較すれば不十分極まりなかったとはいえ、地域で単身生活を送る介護の必要な障害者にヘルパーの利用が認められるようになった。
 焼き肉屋の話から急にヘルパー制度云々に移ったのには、大きな理由が込められている。

 (危なかった。勢いあまって、ぼくの暮らす市を書いてしまいそうになった。大阪まで明かしているから、障害者関係の仕事や活動に携わっている人であれば、察しがつくだろうけれど)

 ひとり暮らしをはじめたころ、ぼくの夜の生活を支えるために、学生ボランティアや峠越えをして手伝いに来てくれていた京都の友人たちとともに、教職員組合の人たちがサポートしてくれていた。

 先生たちが泊まる夜は、よくオゴッテもらった。
月に一度ぐらいは、焼き肉やお寿司をごちそうしてもらっていた。
 ということで、彼女のお店にも通うことができたのだった。

 小さなお店だった。
詰めて座ると、六人囲みのテーブルが二台あるだけだった。
肉は旨かった。仕入れた牛によって運不運はあったけれど。
厚すぎず、薄すぎずのタン塩が、ぼくは一番だった。
肉のあたりのいい日には、塩を控えめに出してもらった。
たっぷりレモンをしぼって。
 たまに、お客さんがぼくたちだけだと、彼女がぼくを食べさせてくれた。
いっしょに行った先生はラッキーだった。
ビールまでゆっくりと楽しめたから。

 それでも、ぼくたちだけの夜はめずらしかった。
だいたいは、作業着の常連さんでにぎわっていた。
予約をしておかないと、難しくなっていった。

 お店の繁昌は、肉の味とリーズナブルさだけではなく(ほんとうに肉のレベルを考えれば、コスパは高かった)、彼女の魅力がモノを言っていたのではないだろうか。
 夜遅く行くと、親しい男性がいつもかたわらにいた。
そして、半年ほどで相手が代わっていた。
 一度、昼間にキムチを買いに行ったとき、日本へいつごろ来たのか、訊ねてみたことがあった。
けっこう、若いころだったようだ。
 理屈ではなく、たくましさとしたたかさが伝わってきた。

 焼き肉の口なおしにお皿に盛られて出てくるたんぽぽサラダがおいしかった。
甘酸っぱいドレッシングで食べるのだけれど、噛めば噛むほど甘さがきわだった。
彼女によると、雪の下で冬を越さないと「甘さ」はきわだたないと話してくれた。
毎年、冬に実家へ採りに帰ると言っていた。

 おそらく、彼女の故郷はすこし朝鮮半島の中央に近いのではないだろうか。
たしかに、念を押された通り、キムチはかなり激辛だった。
 南下するほど、辛さは控えめになると聞いたことがあった。

 元気に店をつづけておられるのだろうか。
娘さんはどうされているのだろうか。

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