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自分
昨夜、とっくに結果はわかっていても、まだ観ていなかったお正月の大学ラグビーのビデオを眠りの友にすることにして、泊まりのサポーターさんにセッティングしてもらった。
普段の眠りの友はBOSEから流れる唄だけれど、土曜日のサポーターさんは「このスピーカーには合わない曲ばかりですねぇ」などとツッコミを入れてくるので、いつもは笑っていなせても、昨日は面倒くさい気分だった。
オシッコが行きたくなって目が覚めて、時計を見たら四時十五分だった。
大接戦になるはずの試合の後半を楽しむことなく、ぼくは熟睡してしまっていたのだった。
サポーターさんに声をかけて、用をすませそのまま寝直すつもりだった。
気を使わなくてもよいとサポーターさんたちは口をそろえるけれど、その様子を目で追っているだけで、体に触れられているだけでストレスになることに気がついて、極力「お願いすること」を省くようになった。
ベッドのそばにセッティングされたテレビは、青い終了画面になったままだった。
その明かるさで、シビンを受けられるぐらいだった。
不思議で仕方がない。
テレビやラジオを観ていて、聴いていて、クライマックスに近いところで居眠りすることがよくある。
安定剤を飲むタイミングが悪いのか、最初から力を入れて集中しすぎてしまうのか、昨夜もそんな感じだった。
もう一度、確かめることも面倒くさくて、いちばんおもしろい場面を見逃したままで消去した番組や、ラジコのタイムフリーの視聴期限切れになることも数知れないぐらいだ。
物事に執着しなくなってしまったのかもしれない。
好きなスポーツの横綱格のラグビーでさえ、録画すら頼むことが面倒くさくて、覚えていてもスルーするときもある。
そんな自分をさみしがっているぼくを、もうひとりのぼくが救いの手を差しのべる。
「観たくなったら、YouTubeに上がるやろ。だから、安心してるんちゃうか」
もうひとりのぼく、ありがとう。
実は、もうひとつの不思議を書きたかったのだった。
どうして昼間も、夕方も、寝るまでも、部屋が明るくても、まわりがにぎやかでも、すぐに居眠りしてしまうのに、いざ準備が整うと、明かりを消さないとその気にならないのだろうか。
同じように、今日の明けがたみたいに夜中に目が覚めたとき、真っ暗にしないと眠れないのだろうか。
軽い睡眠薬も飲んでいるというのに。
幼いころは「真っ暗」が怖くて、熟睡してしまうまで部屋を明るくしてもらっていた。
八才~三六才まで転々とした施設でも(養護学校の寄宿舎もふくめて)、豆球や常夜灯で真っ暗になることはなかった。
二十才を過ぎたころ、初めておつき合いした人は中島みゆきが好きだった。
コンサートのチケットも手に入りにくくて、発売時間にあわせて必死で電話をかけるとよく話していた。
その彼女が吹き出しながら、どこからも死角になった建物の壁にもたれてひとり言してたことがあった。
「部屋を真っ暗にして中島みゆきの異国を聴いてたら、おかあさんが入ってきて『あんた、自殺せんときや』って…」
別れてしばらくして、結婚式の写真の年賀状が届いた。
一括りにはしたくないけど、女の人ってこんなもんやなぁと実感した。
投げ出すように、フェードアウトしながら書き終えたかったのに、あまり好みではない閉じかたになってしまった。
子どものころの施設で毎年、どこかから蛍が送られてきて、その夜だけは部屋の明かりがすべて消された。
枕もとのトランジスタラジオにとまってくれたときがあって、体を思いきりよじらせながら、いつまでも眺めていた。
独特の青くささとともに、記憶がよみがえった。
ほんとうは、あまりに好みではない幕切れだったので、暗がりを思い浮かべながら記憶を絞り出した。
好みじゃない部分を消去すればいいのに、過去を否定するようでその気にもなれなかった。
いろんなことが積み重なって、いまがある。
これからも、さまざまな自分と出逢って、モジモジしながら向きあっていきたい。
最後の最後に、中島みゆきの数ある唄の中で、ぼくのいちばんはダントツで「彼女の生き方」が微動だにせず座りつづけている。