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永井くんとワクチン接種の一日

 午前十時、「おはようございま~す💗」とこれから仕事とは思えないほどの間延びした声で、永井くんが玄関ドアを開けた。
 調理の後片づけをしていた実直なヘルパーさんが歯切れよく挨拶をすませてから、すこし早口に洗濯物などについての引継ぎをする。

 ふたりの人間性のコントラストに心地よくゆられながら、ぼくのテンションはゆるやかに上がっていった。

 台所のやりとりが終わって、永井くんがベッドのそばへやってきた。
 ふくよかなお腹はあいかわらずだけど、それにしても上半身と比較して「短足」が際立っている。思わず、視線が釘づけになってしまった。
 
 そういうぼくも、永井くんを笑ってはいられない。
 最近、身体検査で座高は測らなくなったらしい。
 学生だったころも、そうであってほしかった。
 
 ぼくは身長一七八センチ、なんと座高九九センチだった。どうせなら一メートルあればよかったのに。

 引継ぎどおり、洗濯物を干し終わってから、とりあえずオマルを差しこんでもらう。
 お昼に近所の耳鼻科でワクチン接種の予定を入れているから、副反応の心配もよぎって、最優先でウンコは出しきっておきたかった。

 いま、RCサクセションの名曲「雨上がりの夜空に」がぼくの枕もとで流れている。
 そういえば、ぼくと永井くんの関係は、昼下がりにご近所へ自転車に乗って買いものへ行く清志郎さんの後ろ姿のようなイメージがある。

 もちろん、そんな偶然に出逢ったことなどありはしない。
 どこまでもリラックスしているようで、ところどころに弁えが垣間見える。
 ぼくの中の清志郎さんは、若いミュージシャンに気配りをするやさしい背中にほかならない。

 ぼくと永井くんをそこへ持ち出すと、さらになつかしい肥しの匂いが漂ってきそうだ。ぼくたちは丹波育ちだから、都会の人たちのように早口にはなれない。

 まるでぼくのエッセイみたいに、オマルを差しこんでからものんびりした口調の絵空事と真実の行きつ戻りつする茶飲み話が繰りひろげられ、とうとう介護タクシーの予約時間が迫ってきてしまった。
 
 仕方なくと書きたいところでも、「脚色」はなしに文字に変えれば「想定どおり」に収穫は一切れもないまま、オマルは外される運命となった。

 三十分でタクシーが迎えにくる。
 一週間に何日も入っている手慣れたヘルパーさんでも、ベッドから車いすのセッティング完了まで、滞りなく進んだとして三十分ぐらいはかかる。
 これだけ信頼関係を築くことができていても、あちらこちらから引っ張りだこの永井くんは、ぼくの介護に携わるといえば半年に一回ぐらいだから、見通しを持ちながら動くとなると、また別の話になる。
 
 服の仕舞ってある場所がどこか、移動リフトの手順はどうすればよいかなど、いろいろな場面でぼくの説明を介さなければならない。
 ふつうに考えれば、時間が足りなくなってしまうところだ。

 ところが、ピッタリ準備が整ったところに、介護タクシーのドライバーさんがわが家の玄関を開けた。
 時間どおりに現れないから心配してきてくれたのではなく、篠つく雨を気遣っての迎えだった。

 ぼくの投稿する文章には必ずといっていいほど、#古武術介護、#重力介護というキーワードをつけるようにしている。

 ぼくがお世話になっているヘルパー派遣の事業所では、介護を受ける側だけでなく、介護をする側もふくめて、より快適な時間を共有するために、できるだけ不必要な力を使わない技術を取り入れようとしている。

 世間的にも着目されはじめていて、「古武術介護」と検索すると、アレコレとヒットするはずだ。
 
 ぼくの場合、このテクニックを活用されると、いい意味で「暖簾に腕押し」状態になる。
 硬直してしまったとき、ムリに抑えつけられると、どうしても反発作用が現れてぶつかり合ってしまう。
 逆に、フワリと包みこむ感覚でこられると、自然に力が抜けていく。
 「フワリ」と表現したけれど、とても微妙にズレている。
 「フワリ+しっかり」というある意味で相反するものが合体した表現が近いかもしれない。

 もっと大切なことがある。
 ぼくは幼いころから施設で生活してきて、たくさんの大好きだった若いスタッフさんたちが腰痛などに苦しんで辞められてしまった。
仕事をつづけたかった人も、かなりいたのではないだろうか。
 また、老々介護などの問題も避けられないことだろう。
 
 ある整体師さんから、興味深い話を聴いた。
 自分が抱えられるとき、宙に浮いたり、マシュマロに変身したり、その人のイメージしやすい状態に気持ちを移行させれば、ほんとうに介護しやすくなるらしい。
 何回か試してみると、ヘルパーさんとの相性や体調によって、とても有効な場合と、屁のツッパリにもならないときがあった。
 悟りの境地には、まだまだ達していないのかもしれない。
 介護される側の反発力を活用することもあるらしい。
 うちのベテランヘルパーさんたちは、「介護はおたがいの協同事業ですよ」とよく話している。
 永井くんは、介護技術を担う事業所の中心人物のひとりだ。

 年配の思慮深いドライバーさんにお礼を伝えながら、ぼくと永井くんは路地を抜けた場所に停めてあった車に乗りこんだ。
 (今日は頭が冴えわたっているので、書きたいことを横に置きながら進めている)

 予約していた耳鼻科に到着すると、短時間の窓口対応ですぐにワクチン接種へ。

 半年に一回の登場を永井くんにリクエストした理由には、速やかにワクチン接種が受けられるかどうかというハードルがあった。
 
 子どものころ、高熱を出して受けた筋肉注射は痛かった。
 ぼくにとって、痛みと硬直は深く結びついていて、チクリとでもしたら飛び跳ねてしまう。
 いや、きっと痛いだろうと思いこんだ時点で、情けないことに手足はバタついてしまう。
 
 だから、永井くんの古武術介護を活かした「フワリ+しっかり」の柔らかなハガイジメが必要だったのだ。
 
 ところが、事実は小説をこえる。
 永井くんが抑えようとするまでに、先生は半袖Tシャツをちょっとめくり、看護師さんが反対側から軽く上体を支えた。
 「筋肉注射は痛い」と思いこんでいたぼくは、背後にいるはずの彼の名前を呼んだ。

 ぼくの背中に別の大きな手のひらが触れたか、触れないかで先生の信じられない言葉が聞こえた。
 「注射は済みました。そんなに痛くなかったでしょ」。

 ほんとうに耳を疑ってしまった。
 痛いどころか、まったくなんの感覚もなかった。
 わざわざ永井くんの登場をリクエストして、申しわけない気分になった。

 十五分ほどの観察が必要なので、エレベーター前のスペースで時間を過ごした。
 診察室から見えない場所ということもあって、入れ替わり立ち替わりに先生や看護師さんたちが様子を訊ねにきてくれた。

 三年前あたりを境にして、まちの人たちの対応が変わったような気がしてならない。
 当事者の中ではスタンダードになった「障害者差別解消法」も、世間的には認知度がまだまだ低いらしい。
 ただ、直接、障害者と関わる職種の人たちにはかなりの勢いで、浸透が進んでいるのではないだろうか。
 
 人によっては、「問題になって、ネットが炎上するのがみんなコワくて、ビクビクしてるんですよぉ」という。
 たしかに、マスコミは「障害」を必要以上にクローズアップして取り上げ、世の中に「元気をあたえる」存在を強調する傾向はいまだに強い。
 
 ただ、率直な肌感覚として、マニュアル通りの対応にはほとんど出逢わなくなったし、障害のある人とない人の距離は確実に縮まっている気がする。
 それは、個人と個人の関係にかぎったことであったとしても、増えていればつながりになってゆくだろうし、点から面へと広がってゆくだろう。
 
 コロナ禍の閉塞感と相反しているので、よけいに興味深い。

 気持ちよく接種を済ませて自宅へ。
永井くんをリクエストしたもうひとつの気がかり「副反応」も現れないままだった。
 いつもと異なった感覚といえば、夕方から翌日の午前中まで、全身をオブラートでくるまれた気分だった。
 これを「軽い倦怠感」というのだろうか。

 ということで、泊まりのヘルパーさんが現れるまで、午前中の引きつづきで、ここには書けない話のオンパレードだった。

 ちいさな書き忘れがあった。
 永井くんに外出用のTシャツを出してもらうとき、「コケ色のヤツやでぇ」と、大人げなくさけんでしまった。
 丹波の山あいの湿気たっぷりの集落の育ちのはずなのに、コケがとても苦手らしい。
 ちょっとチョッカイを出したくなるスキを見せてくれる。
ついでに、ぼくまで見せたくなってしまう。

 最後の最後に、どこかで書いたかもしれないけれど、くり返してでも触れたいことがある。
 
 前回、サポートに入ったときだろうか。思わず「この人、何者や!」と感嘆したことがある。
 何事もないかのように、こんなことをサラリと言ってのけた。
「ぼくねぇ、すごくうまくできるようになったことでも、あえてやり方を変えてみるようにしてるんですよね」。
 さらに、こんなふうにつづけた。
「変えてみてうまくいかなかったら戻せばいいだけだし、満点だと思いこんでいることでも、もっとうまくいく方法があるかもしれないしね」

 思い出した。
 ぼくがシンクロニシティの話をしていて、静かに時間の流れにまかせていきたいというようなことを言ったら、永井くんはちいさな変革的な考えを展開した。
 そのときどきの自分の感覚を信頼して、行動したいというような内容へと広がっていた。

 ぼく自身もふくめて、長くつき合っていると相手の次の言葉が予想できてしまう。
 価値観がかみ合っていれば安心するし、そうでなければしんどさが波立っていく。

 永井くんと過ごしていると、同志的な安心感が根っこに座っているのに、観光ガイドを持たないままに知らない町を歩くみたいな期待を抱いてしまう。
 それは、エーゲ海に面した深い碧空と白い宮殿と石畳の坂道かもしれない。
 
 存在感は半端ないのに、つかみどころがあるわけではない。
 ぼくの中で、永井くんは永井くんでしかあり得ない。

 世の中には、揺らぐ美しさと、揺るがない美しさがある。

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