怒らない
給食が終わり、ぼくはY先生に声をかけた。すぐに立ち上がり、ゆっくりとそばへ来てぼくの肩に手を置いた。
「なんや」、すこしかすれた声でまっすぐにこちらをみつめた。
ホームルームの相談をするつもりだった。
ぼくが高校生活を送った養護学校は、それまでのコンセプトと違い、障害の内容を問わなかった。
「みんながつくる、みんなのための、みんなの学校」
卒業するまで、作業着で学校中に出没した校長先生は、生徒が集まる場でこうくり返した。
教科になると分かれても、ホームルームや給食は基礎クラスで、学年でも、障害でもなく、ごちゃ混ぜの編成だった。
ホームルームの進行は、とても難しかった。
内容の基準をどこに合わせればよいのか、よくわからなかった。
簡単なものにすると、誰かが物足りなくなる。深めようとすると、退屈な人が出てしまう。
ぼくは、どうすればよいのか、わからなくなっていた。
Y先生は、あと二年で定年だった。
いまでは考えられないけれど、夏になると汗かきで、チヂミの下着のシャツを着て、教壇に立っていた。
本当に、怒らなかった。
不良ぶったヤツがタバコを吸っていても、さしでトコトン話した。
たまたま、別の養護学校の中学部でY先生の息子と仲良くなった。
息子によると、家に帰っても一度も怒ったところを見たことがなかったらしい。
ある日、保母さんをしていた母親が煮物に塩と砂糖を間違えて入れてしまったことがあったという。
Y先生は、一口食べて、
「まずい日があるから、旨い日があるんやぞ」と言いながら、笑顔をくずさなかったらしい。
ホームルームの進めかたを相談すると、Y先生は一週間ほど前の体育祭の出場競技を決めるための話しあいの情景を語りはじめた。
一人ひとりに手を挙げてもらって、出場したいものをいくつか選ぶようにしていた。
始めてまもなく、Iくんが勢いよく手を挙げた。
名前を呼ぶと、跳ねるようにイスから立ち上がり、こう言った。
「おかあさんの玉子焼きは日本一おいしいです。今日の晩ごはんは玉子焼きです。楽しみです」
教室は、一瞬シラケた。ぼく自身も同じ気持ちだった。
Y先生は、ゆっくり話しだした。
「あのときIはなあ、おかあさんの玉子焼きが日本一おいしいと思っていることと、その玉子焼きを晩ごはんで食べられることを、みんなに伝えたかったんや」
返す言葉は、なにもなかった。
さらに、Y先生は、ふたつのことをつけ加えた。
「もし、みんながちゃんと聴いてくれていることがIに伝わったら、また感じたことを話したくなるやろ。それが大事なんや」
すこし間をおいて、Y先生は遠くを見ながら話しはじめた。
「自分の気持ちがわかってもらえんと、誰でも相手のせいにしてしまうやろ。オレは違うと思うんや。結局な、自分が力不足やったり、わがままになってたりして伝わらんことが多いと思うんや。わかってもらえんときほど、自分自身に問い直してみなあかんのと違うかなぁ・・・」
ぼくの価値観や社会観に影響を与えた人のはずなのに、いつの間にか誰かを攻撃している自分がいる。できない人をバカにしている自分がいる。
大枠の自分は変えられないかもしれないけれど、自問自答は携えていきたいと思う。
最後に、Y先生の残してくれた言葉とぼくが感じることを書いておきたい。
Y先生は、この言葉をくり返していた。
「福祉は誰のものでもない。みんなにとって大事なもんや。右も左も関係あらへん。だから、大事なときは考え方の違う人ともキッチリ話しあわなあかん」
ぼくは、この言葉の「福祉」を「人権」に置き換えたい。
人権は、この社会に生きている一人ひとりにとって、いちばん大切なものだと思う。
突き詰めていけば、同じ人生をたどる人もいないし、百%同じ価値観で同じ選択をする人も存在するわけがない。
意見や考え方は違っても、存在を認めあえれば、違った世界が見えてくるかもしれない。
一人ひとりの毎日にフィットした社会は、絵物語なのだろうか。