かまぼこエッグ
今夜は、脱力感でいっぱいだ。
お役所との長期間にわたった話し合いが一段落して、蒸し暑い都会の夏にもかかわらず、頭の中は小春日和の縁側で居眠りしているみたいだ。
在宅生活が長くなり、ちょっとしたことで精神的にバランスを崩すようになったぼくは、今日の話し合いにむけて、車いすに乗りつづけられるかが不安になり、一睡もできない夜を過ごしてしまった。
心配事があると、全身に硬直が起こる。
トイレをはじめとして寝返りや水分補給など、ヘルパーさんを呼ぶことも必然的に多くなる。
一睡もできなかった夜、不思議に思うことがあった。ヘルパーさんを呼んでも、一度目はやって来ない。何回も用事をお願いしたので、熟睡しているはずはなかった。
それに、かならず二度目に声をかけると、カーテンを開けてぼくのそばへ来てくれた。
翌朝、不思議だったので、彼に訊ねてみた。
ぼくの記憶からは消されているのだけれど、かなりの確率で寝言で人の名前を呼ぶことがあるらしかった。
だから、ベテランヘルパーの彼は、いつも二度目に声をかけられると動くようにしているということだった。
ぼくの寝言に登場する人物も、ずいぶん幅が広いようだ。
逝ってしまった親族から数々の友人、わが家に訪れるヘルパーさんたち…。
そんな面々の中で、もっとも多く登場するのが「おばあちゃん」だという。
手足をバタバタさせて、乳母車に乗せられたぼくを堂々と連れ歩いてくれた。
美味しいものをいっぱい食べさせてくれた。
長期入院したおふくろの代わりに、いろんなアイデアをくり出して、ぼくを世話してくれた。
いま、たくさんの人と四苦八苦しながらも自分のカラーを出して暮らす力が育ったのは、物心ついて最初に深く関わらせてもらったのがおばあちゃんだったからかもしれない。
この「食べることは生きること」のシリーズでも、きっと登場回数がもっとも多い人物は「おばあちゃん」に違いないだろう。
おそらく、ぼくの味覚の基礎をつくった人に違いない。
そんなおばあちゃんのアイデア料理は、まだまだぼくの引き出しに仕舞ってある。
お財布事情が厳しいとき、グンと存在感を増す食材がある。
それは卵にほかならない。
お味噌汁にポトリと落としただけで、一気に食べごたえを実感する。
オムレツにすれば、どんな残り野菜も具材になって、冷蔵庫の掃除役も引き受けてくれる。
ここまで引っ張りにひっぱってから出すぐらいなので、相当「かまぼこエッグ」には思い入れがある。
大好きな大好きなおばあちゃんが、忙しくて買い物にも行けない日のお昼ごはんにつくってくれたのだった。
目玉焼きオンリーのときやハムエッグの場合は、いつもお醤油をかける。黄身との相性が抜群に思えるからだ。焼き具合は、もちろん「半熟」がいい。
対して、「かまぼこエッグ」は塩にかぎる。できれば、味塩よりも「塩」がいい。
それから、半熟よりもしっかり黄身がかたまるまでしっかりと焼いたほうが、ぼくは好きだ。
さらに、一番こだわりたいのがかまぼこの焼き加減だ。
すこし薄目に切って、カリカリになるまで焼く。
この間、博学のヘルパーさんが卵とコレステロールについて話していた。
ぼくの若いころは、確かに食べ過ぎるとコレステロールが高くなると、よく注意された。
でも、新しい学説ではある程度の量に関しては大丈夫だという。
大阪の夏は暑い(このところ、頻繁に書いているような気がする)。
「かまぼこエッグ」、意外とあっさりして、つけ合わせの野菜もふくめて、ペロリと食べてしまうことができる。
それに、なんといっても、お財布にやさしい。
今夜、おばあちゃんは夢に登場するだろうか。