事情
昨日、ぼくは何も書かなかった。
いや、何も書けなかった。
いつもならタブレットの画面を眺めているうちに、なんとなくとっかかりが見つかって、その日の出来事やなつかしい思い出をたぐり寄せていくうちに、いつのまにか二千字近くになることが多い。
ありふれた一日だった。気が合うわけでもなく、そうかといって苦手でもないサポーター(ヘルパー)さんとお昼前から夕方までを過ごした。
リハビリのために、動かなくなった車いす(充電できない)に乗って、二時間ぐらいぼんやりと唄を聴くつもりだった。
いつも以上に安定剤がよく効いていて、腰と肩甲骨まわりの張りをほぐしてもらって、車いすへ乗り移る時点で意識はなくなっていた。
気がついたら、車いすに座り手足もベルトで抑えられて、完璧な状態になっていた。
ぼくはハッとした。
腰の調子が悪いとき、硬直すると強烈な痛みが頭の先まで突き抜けてしまうお尻のポジションだったからだ。
結果は目に見えているので、昨日のサポーターさんのフォローを先に書いておきたい。
ぼくの腰はとても気まぐれで、お天気、夜に眠っているときの体勢、その日のサポーターさんとの相性、ストレッチをサボる(ぼくの責任、サポーターさんはぼくの言うことによって基本的に動くから)などの様々な要因で、静かになったり、叫びたくなるほどの激痛を走らせたりする。
とくに、車いすに乗ったときのポジションはとても微妙で、よほどのベテランでないと違いがわかりにくい。
目が覚めてハッとしたぼくは、お約束のように硬直をした。
最近にない激痛が走った。
普段でもこの痛みをクリアすると何事もなく二時間以上はいけることもあるので、ベストポジションにお尻を持っていってもらった。
が、昨日は治まることなくベッドへ戻った。
雨降りだったのと、寒さが影響したのだろう。
午後から手のひらスイッチを使って、音楽のプレイリストから三~四曲入れ替えて、そのまま電子書籍を読もうとしたら、タブレットのバッテリーが切れる寸前になってしまった。一回あたり三時間ぐらいしか持たないのと、充電しながら使う方法が見つからないで困っている。
大事なラインの返信を忘れていたので、サポーターさんにバトンタッチして、その後、電子書籍で大江健三郎さんのヒロシマノートを読みはじめる。
1960年代も、いまと変わらず、考えかたの近くて遠い人たちの越えられないミゾを目の当たりにして、やりきれない気持ちになる。
ぼくはどちらにも大切な友だちがいるので、よけいに複雑な気持ちになる。
まだ読みだしたばかりだけれど、大江さんはそのミゾにもどかしさとやりきれなさとあきらめを感じながら、どちらにも属さない、属していてもどっぷりつかりきらない人たちの中に「広島的」なものを見出して、将来に展望を持とうとする。
でも、これだけ逼迫した時代になっても課題が山積みになっている時代でも、相変わらずミゾをつくっている当事者は自分たちのための利益を優先させるエゴにすがりついているとしか思えない。
政治にしらけた多くの若い人たちが視野に入らないのだろうか。
結局、ぼくは昼ごはんを食べなかった。
不意に気になったのでサポーターさんに訊ねると、ぼくがベッドへ戻って居眠りしている間に済ませたとのこと。素直に安心した。人間関係が大事だ。
早めの夕食を済ませると、泊まりのサポーターさんのチャイムがタイミングよく聴こえてきた。
おととい、同じサポーターさんの泊まりで夜更かしをしすぎて、朝のサポーターさんとの引継ぎまでふたりとも寝坊してしまったので、食器洗いと洗濯物の片づけが終わると、すぐにnoteを書くためのセッティングをしてもらった。
ところが、冒頭で書いたように、ひとつの手掛かりさえ見つからなかった。
幼いころの車の窓をかけ上がっていく雨のしずくの様子も、ヒトラーの演説する映像から「いま」を考えようとするテーマも、訪問入浴の人たちとの楽しい雰囲気も、意識の底で薄っぺらな紙切れみたいに散らかっているばかりだった。
タブレットをセッティングして、投稿をあきらめるのははじめてに近かった。
これから、書けなくなるのかと不安になった。まだ、ぼくを違う生活スタイルに変えてしまった(いまが悪いとばかりは思っていない)コロナのことも、コンプライアンスも、友部さんとの関わりや唄のことも、そして、一部のサポーターさんたちの期待に応えようと書きはじめた初チャレンジの小説も、すべて中途半端になっている
ホッとした。
ただ、昨日の夜に書けなかったことを「お試し」の投稿として上げるつもりだったのが、いつも以上にうだうだとつづけられることができた。