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頭をぶつけるひと、足をぶつけるぼく

 「ドン」という鈍い音が、四畳半を隔てたぼくの部屋まで聞こえた。
 「またやりよったか」、ぼくはベッドの上で悪い笑顔になる。
 すこし間を置いて、「あいたぁ!」と悶絶の声がする。
 ぼくはほくそ笑む感情を悟られないように、「大丈夫かぁ」と心配そうにいいひとを演じる。
 こんな年寄りが人の不幸を楽しんでいると、いつかはバチが当たりそうだ。
 話はこの部屋を契約した時点にさかのぼる。
 引っ越す前の家は、壁のあちらこちらに穴が空き、二年前の地震で基礎に亀裂が入っていた。おまけにダニやゴキブリだらけで、殺虫剤などでは追いつかないほどだった。

 北で、南で、日本のあちらこちらで地震が起こり、身の危険というか、一日のほとんどの時間をともにしているヘルパーさんたちのことが気がかりになり、引っ越しを決めた。

 バチが当たりそうな原因は、ここから出現する。
 家賃は、六万超えるあたりまでなら、倹約すれば暮らしのメドは立つはずだった。
 ところが、不動産業者と大家の中間に入る管理会社の審査に、ぼくの収入では通らない現実に直面した。
 
 それでも、業者はパスできる物件をいくつか紹介してくれた。
 が、ヘルパーさんには「車いすの方でも、どうぞどうぞ」と言っておきながら、実際に言語障害があり、硬直で上体をのけぞらせるぼくを見るなり、突如として入居拒否に転じる大家がいた。
 ほかにも、あと三センチ玄関に幅があれば行けた好物件もあった。

 ついつい、半年ほど前を思い出しながら、クドクドとグチってしまった。

 そんなこんなで、クタビレきっていたところに手ごろな家賃で、家主さんもどんな方でも「どうぞ」、というところが見つかった。
 もう考えたくはなかった。
 一度、観に行っただけで、契約まで進めてしまったのだ。
 
 玄関はドアから部屋の上がり框まで三段あって、それを撤去してスロープにすれば、出入りできそうだった。
 だが、話はそう簡単ではなく、入り口から上がり框までの距離が短く、そこでスロープを終わらせようとすれば、車いすでは危険な傾斜の角度になってしまう。
 そこで、家の中の傾斜をゆるくした上で、段差が生じるので、外付け用のスロープを購入して一件落着した。
 出入りのたびにスロープを取り付けなければならないのは、なかなか面倒くさい。特に雨の日は。

 ということで、上がり框から玄関ドアまで傾斜をゆるめるために底上げしたので、小柄なひとでもかがまないと頭をぶつけてしまうことになった。
 ここで、さらなる厄介が生じた。
 頭をぶつけても大丈夫なように、ホームセンターでクッションのようなものを購入すればよいとだれかが言った。
 
 だが、今度はぼくが困ってしまう。
 ぼく自身もわずかに残る頭のてっぺんの髪をこするように、わが家の出入りをしている。
 ほんとうにカツカツだ。
 下へはみ出ないようにクッションのようなものをつけたとしても、厚みと傾斜の具合でぶつかるイメージしかわいてこない。
 どうしたものだろうか。
 
 まぁ、いろいろなことが重なったとはいえ、もっと落ち着いて物件を探せばよかった。結局、ぼくがヤケクソで契約をしたことが一番の要因だから、早めに手を講じるようにしよう。

 だけど、大丈夫なひとと何度でもぶつかってしまうひとがいる。
 「なぜだろう?」と一人ひとりを思い浮かべていたら、その中に自分の顔が割りこんできた。
 
 ぼくの場合、わが家の玄関ではない。
 幹線道路のわりと広い歩道や、近所の遊歩道で車止めの低いポールに、数えきれないほど足をぶつけた。
 いや、正確に表現すれば、そのほとんどを車いすのステップとポールの間に足の指を挟んでしまった。
 どこかで書いたかもしれないけれど、痛さのあまり漏らしてしまったこともある。
 
 骨にヒビが入るよりも、打撲の方がはるかに痛いし、完治しにくいのはなぜだろうか。
 
 たしかに近眼だけど、最近は蛍光テープが巻いてあることが多いから、夜もふくめて見えにくいわけでもない。
 「どう生きるか?」などと難解な問題を考えていなくても、まわりの風景や若いころはかわいい女の子に気を取られたり、つぎの段取りを考えたり、よそ見をしているときだけではなく、しっかり視野に入っていてもぶつかることはあった。
 
 気がついたことがある。
 よく頭をぶつけるひとは、つぎの仕事に急いでいたり、家庭のことを考えたりしている場合が多いように思う。
 あらためて、書き進めているうちに、契約時の責任と自分を棚にあげていることを痛感してしまった。

 さっそく、泊まりのヘルパーSくんと対策を考えることにしよう。

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