「タマゲタカレー」
二週間ほど前、介護技術だけではなく、料理をお願いしてもこだわりつくすヘルパーさんに、あえて使いかけの市販のルーでカレーをつくってもらった。行きつけの店で買ったカレー用の牛肉のあたりがよくて、素直にカレーにするのがもったいないほどだった。腕利きヘルパーさんは「肉運」を承知して、旨味を閉じこめるためにじっくりとレアのまま焼き目をつけてから煮込んだらしかった。
もちろん、腕利きヘルパーさんを満足させるだけの脇役調味料が、わが家に揃っているわけではない。それでも、牛肉へのひと手間にとどまらず、ビターチョコレートをはじめとして味にコクと奥行きをもたらすものは、食器棚の隅から冷蔵庫の奥まで探索して、足し算していったようだった。
そんなこんなを適度に種明かししつつ、謎めいた笑顔を残して帰られると、こちらも我慢ができなくなる。
しばらくして、早めの昼食をとることになった。テーブル代わりの衣装ケースに乗せられたカレーライスからは、ほどよく湯気が立ち、目をこらすとジャガイモやニンジンの間のサイコロ状の牛肉が、舌の上でとろける感触を想像させた。
ところが、ぼくの期待は見事に打ち砕かれる。後でわかることだけれど、期待を打ち砕いたのは、煮込み料理の鉄則を地球の裏側のブラジルのジャングルあたりまで追いやってしまった自分自身のセッカチな欲通しさだった。
とくに、カレーはすこしでも時間を置かなければならなかった。
ひと口目で「あれっ」と思った。ぼくの口の中へ招かれたサイコロ状の肉は、予想通り舌の上で溶けていった。あれほど柔らかくてコクの深いカレー ライスの牛肉ははじめてだった。
なのに、はじめのひと口がノドを通ったあと、至福の余韻は訪れず、さまざまな香りや旨味が不協和音を醸しだした。
ぼくは浅はかだった。最後のひと口を食べ終わるまでつづいた一つひとつの旨味にまつわる衝撃が、調和へ結びつかないことに愕然として、その濡れ衣をつくり手のヘルパーさんにかぶせようとしていた。
「こり過ぎとちがうか…?」
夕方、小腹がすきはじめた。鍋には、三食分ぐらいのカレーが残っているはずだった。
やや、気が重かった。下町の文化住宅に暮らす障害者の家計は、裕福なはずがない。
幸運に引き寄せられて買ったカレー用牛肉が、目の前をよぎる。
とにかく、二日ほどかけて食べきることにした。
泊まりのヘルパーさんに温めてもらって、昼食のときと同じように白ごはんにかけて、オーソドックスに食べた。
そのひと口目から、ぼくはタマゲテしまった。昼とはまったく別物に変身していた。
コクと旨味の重なりあった肉の存在感。それでいて、塊は舌の上でほどけるように溶けていく。
しかも、キノコや野菜の香りがときおり漂う。さらに、カカオやニンニクの風味が繊細さを加えた。どちらも個性的な素材なのに、品格さえ感じられた。
いったい、五時間あまりの中で、どんな化学反応が起きて、あの調和が生まれたのだろうか。
忌野清志郎と彼がプッシュしていた若手ミュージシャンたちのセッションを聴きに行ったときの感動を思い出した。
一つひとつの楽器の音も、一人ひとりの歌声も、ぼくの体中にひとつの作品として伝わってきた。けれど、その重なりをたどっていけば、それぞれの個性がハッキリと確かめられた。
清志郎は大きな人だと思った。自分がプッシュしている若手であっても、月並みに考えれば「売れてなんぼ、目立ってなんぼ」の世界に違いないだろう。
でも、彼はそれぞれの割り当て時間の後のかなり長いセッションで、ひたすらステージの奥手に立ち、ギターを弾き、コーラスに加わっていた。
舞台の上の誰もが恐縮して、彼に前へ出てもらおうとしても、照れながら一人ひとりにセンターを譲っていた。
同じ場所で、同じ時間を共有できて…、あの場面を思い出すと、気持ちがゆっくりとほぐれてゆく。
社会全体がマニュアルを頼ろうとする時代に、彼が生きていれば何を語りかけるだろうか。いや、やっぱり、語りかけないだろう。
自分の想いを届けることに専念して、あとは受け取る一人ひとりの価値観に任せるだろう。
ライブで、清志郎のイマジンを聴いてみたかった。
「タマゲタカレー」は、いつの間にか清志郎とブレンドされてしまった。
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