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再現できない今日を淡々と
午前中、大事なメールを友人に送った。
午後からのオンライン会議にむけて、急いで昼食をとる。
ついでに、欲張って腰痛を和らげるほぐしをお願いする。
取り立てて何事もなく、会議は終了した。地域の福祉関係者の情報交換を目的とした内容だった。
本当に安心して暮らせるためには、治療薬の開発と供給が必須ではないだろうか。
そんなことを考えながら、ズームから退出した。
窓の外でカラスが鳴いていた。誰かをバカにして嗤うように鳴いていた。
晩春のころ、明けがたに目を覚ますと、耳慣れた声よりも高音で透きとおったカラスが鳴いていることに気づく。
むかし、たまたま野鳥の会の人がラジオで話していた。
あの透きとおった声は、子ガラスだという。
ゴミを漁って散らかしたり、ときには人間に向かってきたり、その姿と暮らしぶりから、カラスはゴキブリと並んで嫌われる生き物の代表格だろう。
大阪へ引っ越した最初の家の近くのお好み焼き屋さんには、軒先のとりかごにカラスが暮らしていた。
オバチャンに訊ねると、ケガをして動けなくなっていた子ガラスを助けて、そのまま飼いつづけているらしかった。
とてもなついていて、インコみたいに肩に乗ると言っていた。
オバチャンたちの言葉も理解していて、食事や小枝で遊んでやると、とても喜んだという。
さっきのカラスは、仲間に何を伝えたかったのだろうか。
言葉が通じれば、必要以上に嫌う理由もなくなるかもしれない。
姿や暮らしぶりで、好意や憎悪が揺れていく。
世の中でも、カテゴリーや背景によって相通じるものを感じる。
子ガラスの透きとおった声に逢いたくなった。
一年ほど待つことになる。