アイコンタクト
いつものように、時間どおりに、訪問入浴の人たちがやってきた。
今日のチーム編成は、息子みたいで明るくて誠実なAくん、瞳の愛くるしいBさん、看護師さんはミステリアスなCさんだった。
Aくんが入浴車を駐車場へ停めに行き、Cさんが聴診器や血圧計を準備している間に、Bさんは「今日はよろしくお願いします」と丁寧におじぎをしてくれた。マニュアルに従ってではなく、心のこもったあいさつだった。
彼女とぼくの年齢差は、四十歳近いかもしれない。
わが家へは何度か来ているけれど、ぼくは黙っているとコワモテだから、すこし緊張しているようだった。
それに、下半身は細くなってしまったとはいえ、ゴツイ体格だからベッドから浴槽への移動には気を使うに違いない。
そんな事情も加わってか、やや硬い表情だった。
体温と血圧と血中酸素のチェックで「異常なし」を確認して、いざ浴槽へ。三人の絶妙なコンビネーションで、無事、浴槽にセッティングされた担架の上に到着。
と書いてしまったけれど、いちばん重要なことをとばしてしまっていた。
浴槽の設置からお湯の温度の調整まで準備ができると、衣服を脱ぎはじめる。
三人のスタッフはずっとマスクをつけている。
もちろん、ぼくも入浴中以外ははずすことはない。
さて、沈黙を守らなければならないお風呂になって、息子や娘のようなお風呂のスタッフの問いかけには、以下の写真のOKマークで応えるようになった。
「頭の洗い加減の強さはこれぐらいですか?」
「お湯の温度はどうですか?」
「もうすこし入っておられますか?」
などなどの問いかけには、首を横に振るか、二者択一で応えている。
突然、ここから舞台は半年ほど前のある日の訪問入浴の場面に転換する。
Aくんは、異動でぼくの町の営業所へやってきた。
二十歳そこそこなのに、つくった表情じゃなくて、初対面のコワモテのおじさんに人なつっこい笑顔で接してくれた。
なによりも手抜きのない仕事ぶりは、どんな人たちに囲まれて育ったのか、訊ねてみたくなるほどだった。
背中を洗うときは、上体を起こして前と後ろを支えてもらう。
その日、Aくんは前からぼくを支える役割だった。
眼があうと、すごくあったかい気持ちになって、そのままクシャクシャの笑顔になってしまった。
Aくんも、マスク越しの目もとがクシャクシャだった。
それから、彼が前から支えるときは、アイコンタクトが恒例になった。
頭を洗う役割になっても、おたがいにすぐにクシャクシャになった。
いつの間にか、クシャクシャの輪はひろがった。
言葉にしなくても、OKマークとアイコンタクトで心と体があったかくなった。
さて、先日のお風呂の場面に戻る。
表情が硬いままだったBさんに、ぼくは何度かアイコンタクトを試みた。満面の笑顔で。
AくんとCさんにも、眼があうたびにまるで速射砲のようにクシャクシャ弾を撃ちつづけた。これなら、だれも傷つかない。
Bさんとは、なかなか眼があわなかった。
ひょっとしたらセクハラかな?と心配になって、おしまいにしようと思った瞬間、腕を洗ってくれていた彼女と「バチッ」と視線がぶつかった。このときだけは「視線がぶつかった」と書きたくなるほどの衝突だった。
けれど、すぐにやさしい眼が笑った。
心の底からホッとした。
結局、一生懸命に頭や体を洗ってくれていて、ぼくのクシャクシャ弾に気づかなかったようだった。
きっと、彼女は周囲から評価されたくて、一生懸命になっているのではないと思う。本当に人の力になりたくて、がんばっているのだと思う。
まっすぐな気持ちが大切にされる世の中であってほしい。
ぼくのまわりのたくさんの若い人たちの顔がよぎって、うまく言葉にできなくなってしまった。
ひたむきさが活きる科学の進歩であり、社会の進歩であってほしい。