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最後のホームルームとゆんたく

 卒業式前日のホームルームだっただろうか。
 一人ひとりへむけての寄せ書きをまわしながら、送る側と送られる側の立場をこえて、三年間の思い出と将来への期待を言葉に代えていた。

 誰かが言った。
 「ぼくは太く短く生きたいなぁ」。
 その一言を皮切りに、一人ひとりが後に続いた。
 障害があっても意気盛んな若者ばかりだから、自分の番が来るとすこし考えるツレもいたけれど、大きな流れが向きを変えることはなかった。

 クラスは二十人前後だったか。
 地元の町工場の採用が数人決まっていた。
 障害者の作業所へは、クラスの半数ほどが通うことになっていた。
 実家を離れ、職業訓練校へ行ったり、ひとり暮らしをしながら働くツレもいた。

 ホームルームを進めていたぼくは、最後の発言になった。
 「ぼくは細く長くがいいなぁ。死んでしもたらおしまいや」。

 みんな、「やっぱりなぁ…」という表情になった。

 あのころ、ぼくは屈折したヘソまがりだった。
 ひとり暮らしをはじめるようになって、価値観の大黒柱に成長したことがある。
 それは、世の中の常識を信じる前に、自分にとって損か得か(ベタな表現だけれど)捉えなおしてみることだ。

 ぼくにとって、障害があることはプラスのほうが大きかった(ひとりでできないことが多いから、たくさんの人と出逢うことができた)。

  野菜炒めより、煮物のほうが失敗することが少ない(料理に苦手意識を持っているヘルパーさんは、「野菜炒めしかできないです」なんて言うけれど、短い時間で仕上がるだけで、煮物のほうが味の調整はできるし、注意を怠らなければ並行して他のことができる)。

 などなど、世の中で否定的に受け取られていることでも、意外と見限ったものではない場合が多い(まだまだ挙げればキリがない)。

 けれど、あのころは常識に従わないほうが、まわりから一目置かれると勘違いしていた。
 言い換えれば、哲学的な優等生に見られたかったのだろう。
 卒業式にも、普段着のジャージで出席した。
 養護学校で積み重ねてきた最後の一日に過ぎない、という理由で。

 「ぼくは細く長くがいいなぁ。死んでしもたらおしまいや」には、別の想いもシャッフルされていた。

 高二の一年間、政治経済の授業をもってもらった「風呂敷先生(木蓮の花開くころ10参照)」の影響をうけて、一時期、日本国憲法に憧れ、大学の聴講生を夢見るが、すぐに挫折(ほんとうに学びたかったのか、トレンドのようなものだったのか、どちらも真実だったのかもしれない)。
 遠く離れた施設入所が決まっていたぼくは、すべてを悟るように自分を仕向けていたのだろう。
 この時期には加川良さんの「下宿屋」と出逢っていたので、もうひとりのぼくが見守ってくれていた。とても幸運だった。

 ちょうど一年前、ラジコプレミアムと契約した。
 子どものころ、家族に買ってもらったトランジスタラジオは、施設で暮らさなければならなかったぼくの大切な友だちだった。
ブラインドが下ろされた窓際のベッドで、雑音まじりに聴いていたテレビや写真でしか知らない地方の放送局をチューニングしていた夜とオーバーラップさせて、番組のお試しをくり返した。

 そして、琉球放送と出逢い、ミュージックシャワー++のトリコになる(コレだけで原稿を書こうと思っているので、お楽しみに)。

 つい二~三年前まで、ぼくは「あの世の存在」など信じなかった。
 もっと正確にいうと、「信じたくはなかった」。
 人の顔色をうかがいながら、曖昧に暮らす生き方なのに、「人生一度きり」でなければグウタラになってしまうなどと想いたかった。
 果てしない矛盾だった。

 ミュージックシャワーでの三人の個性的なパーソナリティーと、おそらく日本一近距離なリスナーさんたちとの硬軟あわせた「茶飲み話」の中でも、さすが沖縄、霊の話題が頻繁に登場する。

 無抵抗なままでコロナにノックアウトされたくなくて、「書く」ことを意識しはじめてから、必然的に過去を見つめなおす時間が長くなった。
 すると、これまで実感してきた以上に、何かが導いたかのような「偶然」の連なりで、過去と現在までが成り立っていることに驚いてしまった。

 還暦を過ぎても軟弱なプライドを支えに生きるぼくは、すべてを何かに委ねたいわけではない。
 ただ、これまで「何か」と文字に代えてきたけれど、それは「誰か」なのかもしれない。

 いままで以上に記憶が曖昧になり、体力の衰えも避けられなくなって、おそらく過去よりも未来のほうが短くなるに違いない。
 そんな現実を考えたとき、息子のような若い介護者の将来をどこかで見届けられるかも…という希望を持ったり、「あの世の感触」を想像してみたりする面白さを楽しむことは、真実と異なっていたとしても、生きるゆとりにつながるのではないだろうか。

 五年ほど前、人通りの少ない場所で道に迷ってしまった。
たまたま通りがかった玄関から、スーツ姿の青年が現れた。
目的地への道順を尋ねると、「自宅の方向なので、途中まで」ということで、十分あまりおつき合いしていただいた。
 「何をされているんですか?」と聴くと、静かな口調で「布教活動です」とのことだった。
 それから、彼の家の前まで、世間話をしながら歩いた。
 その間、よくある「うちの宗教を信じると、おたくも歩けるようになりますよ」といった現実離れしたお誘いは受けなかった。

 どんな会話をしたかは、すっかり忘れてしまった。
 いっしょに歩いていて、すがすがしい気持ちになったことはハッキリと憶えている。
 心が新しくなったみたいだった。

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