友部さんのこと4
友部さんと響きあった打ち上げで
ぼくの家に新しく入ったヘルパーさんに、かならず話すことがいくつかある。それは、ほかのお宅では絶対にやってはいけないことであり、例外として「わが家のマイルール」と、心にインプットしておいてほしいことだ。
ぼくは百パーセントぼくでしかないのだけれど、身近な人間関係や世の中とのかかわりの中で、「生きにくさ」や「苛立ち」を実感する場面の多くに「障害」に起因する日常の一コマと、そこから連なる社会とのつながりがある。
スパっと言いきってしまえば、「障害者」である前に、ぼくはぼくだと伝えたい。
だから、わが家だけには守秘義務は存在しない。
かといって、ぼくを素っ裸にしてほしいわけではない。
普段の会話でいちばん出てくる言葉が「ここだけの話やけどなぁ」なのかもしれない。その人だけに伝えたいときや、あまり広めたくない内容になると、いつもこの決まり文句が飛びだす。
あまり使いすぎて、相手の意識に残ってくれないときもある。
ぼくは小心者だ。これまで書き連ねてきたように、いつも他人の顔色をうかがいながら生きている。
現に、コロナが報道されて間もないころ、心配のあまりにストレス性の微熱や咳を連発させていたし、ヘルパーさんたちに感染させたらどうしようとビビりながら、もう一方で些細なことに揺らいでいる自分を悟られないように、わざと換気などはしなかった。
コロナを離れても、ぼくはカッコ悪い。
原稿の締切や手続きの申請も、一日前にならないとやる気が起こらない。
個人の自由を語りながら、自分の考えを相手に圧しつけることすらある。
タナに上げたことに気づいて、落ちこむことも日常茶飯事だ。
知的障害の人への想いを語りながら、上から目線の態度に身の置き場がなくなるときもある。
もちろん、たくさんの人との交わりはぼくを支えてきたし、たとえば、友人たちはおいしい顔をして食べるところを見て、「こっちまで幸せになるわ」などと感動してくれたり、あるべき社会を語るとき、響いてもらえたりすることもめずらしくはない。
けれど、ビビりだから炎上するのはこまるけれど、ぼくが「守りのフィルター」を通してここに揚げる内容や、まわりの友人に話す日常のあれこれは、障害者も一人ひとりに焦点をあてればカッコ悪い部分もあって、健常者の一人ひとりとマイナスのベクトルで共感できれば、もうすこし生きやすい世の中になるのでは・・・?と考えるからだ。
障害者はカネがかかると言われるけれど、一人ひとりが自分自身の生活スタイルを見極めて、必要なところのサポートを必要な分だけお願いできれば、案外財政的にも負担が減るかもしれないし、もうすこし介護が社会的にきちんと認められれば、雇用を生み出す力になるのではないだろうか。
高齢者の生活もふくめて、人生の充実のための公共投資が大切ではないだろうか。
またまた横道にそれた。
お昼のヘルパーさんが帰るときに、「こないだのアホな話が事務所でうけてましたよ」と、こちらに笑顔をむけてくれた。
「してやったり」の気分になった。
友部さんのライブを企画していたころ、地元の新聞の地方版に当日近くなると片面いっぱいを使って「障害者と地域の仲間が企画するライブ」などと大きく取りあげてもらっていた。
実際にその記事を読んでかなりのお客さんがやって来たし、収支的にはありがたかった。
ある打ち上げで、友部さんが新聞を手に取りながら「ほんとうは障害者だからとかいう書きかたじゃなくて、自分たちがどんなに音楽が好きかとかを伝えてほしいんだよね」と、ぼくの目を見て言ってくれた。
心がふるえるぐらい、うれしかった。
今回は「車いすからベッドへの旅」へ揚げる予定の記事でしたが、友部さんの思い出が急に書きたくなり、こんなスタイルになってしまいました。
気が多いぼくです。行き当たりばったりのぼくです。