ふんわり煮あなごと自己決定
先週の金曜日、ぼくはとてつもなく後悔していた。
おまかせメニューの得意なヘルパーNくんが来る日だというのに、ある提案をすっかり忘れていたのだった。
その提案とは、予算の上限を伝えてかれの目利きで、自由に食材を選び買ってきてもらう。あえてメニューも聞かずに、夕食を迎える。
そんなドキドキをぼくは、かれにお願いする予定だった。ところが、寝起きのボケた脳ミソは新しいパターンではなく、いつもの冷蔵庫にあるものでつくってもらうように頼んでしまっていたのだった。
十年近く前、東京の下町育ちのチャキチャキ母さんヘルパーのMさんに来てもらっていたころ、ぼくはたまに「Mさんスペシャル」をお願いした。
それは、適当に食材を買っておいて、またはたまたま残っているものだけで、母さんの腕におまかせするというものだった。
母さんは帰りぎわに、自信満々な笑顔で「お楽しみに」と言い残して、いそいそと次のお宅へ向かった。
その日の夕食は、料亭の味(料亭には行ったことはないけれど)を満喫できた。
母さんヘルパーを引き継いだNくんも、実家が食通らしく、しかも小学校低学年のころからお母さんといっしょに台所に立っていただけあって、その腕前と創造力は群を抜いていて、三分の二回はおまかせメニューをお願いしている。
もう、ここには書ききれないほどの創作メニューを味わっていて、彼によると「思いつきでやってるから、二度と同じ味は再現できない」一期一会の味ばかりらしい。
ということで、これまでは冷蔵庫にあるものでお願いしていた。
だけど、もう一歩踏み込んで、食材を選ぶこともお願いしてしまおうと考えたわけだった。
夕食になった。
寝たままのぼくには、テーブルの代替にしている衣装ケースの上のメニューは視界に入らない。介助のHくんもぼくの気持ちを察知していて、何を説明するわけでもなしに、口へ運ぶときに箸先を目の前にもっていってから食べさせてくれた。
メインデッシュは、ふわふわの煮アナゴだった。けっこう、ひと口を大ぶりに切ってあったけれど、口の中でスーッととけていくようだった。
金曜の夜だったし、予算の上限を八百円として、すこし贅沢をした甲斐があった。
ぼくがお願いしている事業所は、本人の主体性や意志を大切にしている。
ひょっとしたら、おまかせメニューについても賛否が別れるかもしれない。
ぼくの考え方は、おまかせメニューをお願いすることを自己決定していると思っている。
ここまで書いただけで、そんなことはどうでもよくなった。
おいしいものと出逢って、幸せな気持ちになれば、それだけでいい。
一人ひとりには、それぞれに優先順位がある。それ以上は何もない。
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