自分で決めること、おまかせすること
「思いこみコロナ」が引き金になり、一日のほとんどが天井を見つめる生活になり、一年以上が過ぎてしまった。
いざ、もとの生活スタイルに戻そうとしても、六十歳を過ぎた身体は簡単についてきてはくれない。
朝から晩まで十二時間あまりも電動車いすに乗るという驚異的な状況への復活はあきらめて、一日に五時間程度までハードルを下げることにした。
それでも、目標達成直前に電動車いすを修理に出さなければならなくなり、その返却までの一ヶ月で、「積み木くずし状態」になってしまった。
百八十度、生活スタイルが変われば精神状態もエライことになる。
いろいろなことがあった…。
そして、ここ最近、はじめはぼく自身に暗示をかけようとして口にしていた身のまわりの小さな気づきに、なんとも言えない「感動のようなもの」をおぼえるようになった。
ベッドから見える視野は、かぎりなく狭い。腹筋が弱くなってしまったので、仰向きで寝ていると自分の足もとさえ見えない。枕もとも頭側は壁でさえぎられているし、右サイドは硬直でベッドから転落しないように、壁にピタリとつけられている。
結局、自分の六畳の部屋の半分ほどと、ヘルパーさんの仮眠する四畳半の四分の一しか、ぼくの視界には入らない。
それにしては、ほんとうに小さな気づきは絶え間なくぼくの感情をくすぐりつづけている。
今日も、朝からスッキリした(お通じの話ではない)。
役割分担をハッキリさせることで、快適に生活できることを気づきなおしたのだった。
半年前、引っ越しに合わせてベッドのマットレスとシーツを買い替えた。気に入った品物がなかったので妥協したところがあった。
特に、シーツは毛布のような肌触りで、汗かきのぼくは冬を迎えることも考慮して買ってしまった。
いよいよ梅雨が近くなり、何もしなくても汗ばむようになった。
久々のぼく個人の判断だった。
天井を見つめる生活が長くなり、いつの間にか、精神状態の不安定さが「自己決定」におびえるぼくをつくりあげていた。
しまいには、調味料のメーカーまでヘルパーさんに意見をうかがうようになっていた。
ひとり暮らしをはじめたころから、ぼくは介護する人たちとフラットにつき合いたいと心がけてきた。
介護する側とされる側では、身体や心に伝わるものが違う。
いっしょに創意工夫すればよいと考えてきた。
けれど、「思いこみコロナ」以来、ぼくは自分で考えることを放棄して、安心できる存在に丸投げするようになっていた。
すこしづつ普段の自分を取り戻して、なんとなくやろうとしていたことがぼんやりとあった。
それは、ぼく自身もふくめて、わが家に出入りするヘルパーさんの特性に合わせて、得意分野ごとに役割を振り分けることだった。
たとえば、調理道具の買い替えは家事ヘルパーさんで相談してもらう。同じように日曜大工関係はAさんとBさん、ネット環境はCさんとDさんというようにしておいて、そこへぼくが加わり決めていく。面倒くさければ、おまかせするのもありだろう。
もちろん、毎日の献立やぼく自身の感覚が優先されることについては、単独で決める。
どうしてもヘルパーさん一人ひとりの性格や事業所の中の人間関係などによって、発言力が変わってしまうことがある。
そこはぼくが優柔不断にコントロールする。
一人ひとりの異なった意見に振りまわされたり、買い物などで勘違いが起こったりすることも減っていくはずだ。
「思いこみコロナ」以前なら、すぐに気づいたことだろう。いや、ずっとやってきたことに違いない。
もう日付が変わってしまった。きのうの朝の爽快感を忘れずに、今日から再スタートだ。