躁鬱女が就労支援事務所の体験に行った話
こんにちは。躁鬱26歳、大学院中退し職歴なし。そんな私の就労支援事務所の体験に行く前後の話をここに残します。
かなり個人的なことも含みます。
2024/08/19
正気が戻ってきた。一度整理
3月に大学院退学して5ヶ月
一度3月から今までを整理。
料理と掃除が少しできるようになった
外に出る習慣ができた→酷暑で現在スーパー・映画館のみ
映画が見られるようになった→地元限定らしい。戻ってから見ていない。
胃腸の症状に苦しみ胃腸薬が追加された→緩和
肝臓について指摘された→食への恐怖と薬の不信感
持病の眼の悪化。目薬が追加→効果は良好
心の状態は大きく変化した。
3月(大学院中退)からは呪縛から解き放たれたみたいに元気だった。
友人たちにも会った。
でもそこで私は久し振りに怒りの感情を抱いた。
些細なことだった、今まで気にしたこともなかったのに。
抑えきれなかった三度目の負の感情の爆発
その頃から自分を抑えるのに必死になっていた。
怒りも 空いてたまらない腹も
コントロール制御不可
楽しいけれど、コーヒーカップに乗っているようだった。
7月、地元に帰ったときは非常に安定した。
しかし『引きこもり』の自分に反吐が出た。
8月、東京に帰った。足元からじわじわスーツの黒が滲んでいく。
自律 自立しなければならない。
真っ黒で吐きそうだった。でもやらなければならなかった。
消化器内科の先生が大量の服薬に
「胃がんになっちゃう可能性とかあるから」
と、副作用のことについて話した。頭に残った。
帰りの待合室で就労支援の事務所にアポを取った。
そのときの感情は、なかった。
事務所で面談をしたとき、どんな職種がいいか尋ねられた。
私はそれまでと打って変わってハキハキキラキラと
これまでこんな研究をやってきたので、それを生かせるように
デザイン系か福祉系をやりたいですと話した。
使えるソフトの名前も羅列した。
そこにいたのは何も知らず夢を抱いた19歳大学生の私だった。
よりよい給料でこれまでの恩返しができるように
実力もたくさん発揮して
顧客も 親戚も 父も母も
今まで私のことを期待し続けてくれた祖父母に
私が良い成績を取るたびに街中に言いふらして喜んでいた祖父母に
見せたかった せめて入社するところを
その日体験したプログラムは電話対応だった。
19歳の私を前に膝が崩れた。
社会人としてやるべきことだから学ぶことに恥じることはない。
そうじゃない。ただ私は。
スーツにみせかけたボトムスにしわが付き
パンプスで足は靴擦れだらけだった。
歩いて足を傷つけていると気持ちが凪いだ。
水ぶくれで指がめちゃめちゃになるのを、いい気味だと
私は泣いていた。19歳の私を前に死にたかった。
こんなに死にたかったのは久しぶりだった。
私が3月呪いを解いたのは『学歴に縛られていた』
高校生までの私たちだった
19歳の大学生は今でも夢見ている
そしてその後ろには夥しい面接官と
『夢』を実行できているをかを常に見る死神の姿が
後ろ スーツの黒に私の眼には描かれている
訓練所の人たちも夢見ている
それは19歳の私とは違う
半年から一年後にはきっと存在する未来の自分に向かっている
現実と向き合って理解して、就職、復職を目指している
だから皆自分の苦手なことに率先して挑戦する
簿記の試験に挑戦する方が職員の方と相談していた
19歳の私が見ている。
就職説明会の話が伝えられる。
パンプスの中で水ぶくれが破れる。
その中で選んだ職種に 望んだ職場の内定枠に
私は勝ち取ることができるのか
思いっきり体重を乗せて足の血を滲ませる。
今まで何だったのだろう、この人生は
必死で幼稚園から習い事も勉強も
中学では部活を捨てて英語の先生からのいじめを受け続けながら勉強して
高校で出会った美しい美術室で息ができたのだけれど殺して扉を閉めて
勉強した 勉強した 勉強したけれど
落ちた 堕ちた
許さない私は大学でもっと努力をした
放課後も土日も朝も勿論授業中も
全部全部、専門分野のことを考えて成績もトップだった
そして今の私は
パンプスが汚れていて足が痛くてたまらなくて、涙が出た。
19歳の私は夢を語りながら笑って私の周りを跳ねる
その影には真っ黒なスーツを着た面接官が顔を出していた。
これからの私のうつの元になるのだろう。
何もできない 何もなさない私に蹲って声を上げた。
19歳の私が頷いて今の私の前を去るとき
また新しく強くなれると思う。
けれど今はできない。簡単にできる方法があるならやっている。
助言は全ては分かりきったことだらけ。
だから言われると金切り声を上げたくなる。
そういえば3月以来苦しんだ私は 私も
同じく消し方を探して哭いていた
分かったことを言われても仕方ない
今はもうやるしかない
やるしかないんだよ そうその一言になってしまうこの世界
そうじゃないと始まってくれない
本当の意味で誰も助けてくれる人はいないのは知っている
動く 動く どんな形でも
就労支援に頼って新しい場所から新しい職場まで
これから色んな人と言葉を交わして時に協力して
もう親に迷惑をかけない お金の心配をさせない完全な自立を目指す
理想と大分違ってきっと目のハイライトが消えている目の前の19歳に
これが今の私なんだよと
生き方を見せる始まりを起こしたんだ。
ただ今は、できたことがなんて凄いことなのか
はじまりの一歩を祝おうと思う。
隣の人が話しかけてくれた。何気なく、砕けた調子で。
施設について教えてくれ、私のかけている眼鏡を褒めてくれた。
私は孤独じゃない
恐らく、これを読んでくださるあなたも。