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子どもに優しくできない母親

こんにちは。共に歩幸の佐藤香織利です。

現在子育て12年目、5歳〜11歳の4人の子どもを育てています。
今日は我が子に優しくなれない母親(私)について書きたいと思います。


私は優しくできない母親で、虐待行為を繰り返していました。

私が子どもを虐待していた頃のこと


その頃自分では虐待している意識はなく、ただただ子どもに酷い対応をする衝動や怒りを抑えることができませんでした。

実際に行っていた虐待の一部

  • 飲み物をこぼすだけで怒鳴っていた

  • 他人の家でおしっこを漏らしてしまった3歳の娘のお尻を叩いた

  • 妹をいじめる姉の腕を強く引っ張り玄関の外に引きずり出した

  • ごめんねやありがとうが言えない長女6歳を激しく怒鳴りつけた


こういった虐待行為は日常のことでした。

私にとって「都合が悪いこと」全般に対して、怒りが湧いていました。
飲み物をこぼす、おしっこを漏らしてしまうなど、子どものちょっとした行動に対して、私の脳内ではこんな考えが駆け巡っていました。

飲み物をこぼしたとき 
⇒ また私が片付けないといけない!飲み物がもったいない!


他人の家でおしっこを漏らしたとき
⇒ 私の躾がなってないと思われてしまう!その家の人に迷惑をかけてしまった!


長女が妹の次女をいじめたとき 
⇒ 可愛そう!私が姉に酷くいじめられた記憶が蘇ってしまう。絶対に許せない!


ありがとうを言わなかったとき
⇒ 誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」が言えて当然、言わないと絶対にいけない。言わないなんてありえない!!


PC作業中に子どもに話しかけられたとき
⇒ なんでいつも邪魔してくるの! 私のやりたいことの邪魔をしないで!
私に迷惑かけないで!


やりたいはずの子育てができない現実に直面


私の母が新興宗教の信者だったため、宗教が教える価値観を実践することが大事だと教えられて育ちました。私の価値観や感情などは一切重要ではないというメッセージとして、私は母から受け取ってしまいました。

思春期から非行に走った、そのメカニズムがまさにこれです。
自分自身を大切な人間として扱うことができないので、自傷行為をしてしまいます。他人を満足させることで自分を見てもらえる(承認欲求)と思っているので、酷い扱いに対してNOと言う選択肢はありませんでした。

そこには「誰かに私を見てほしい、大事な存在だと感じさせてほしい」というメッセージが込められていました。

私の考えなど重要ではないし、私という人間が大切な存在だなんて一度も感じたことはありませんでした。


そのせいで自分という人間を表現することを知らずに大人になってしまったと自己分析しました。


そういうことがあったとしても、母は私のこと愛してくれていた。
母は私のためを思って、宗教を押し付けたと思っていました。

後々に気づいたのですが、私は無意識にそうやって母親を庇っていました。

私はただただ、絶対に我が子には同じような子育てはしたくないと強く思いました。

しかし、いざ子育てを始めてみると宗教こそなくても自分の価値観を子どもに押し付けるという、自分の母親とまったく同じことを我が子に対してしてしまっていました。

自分の心の傷を癒やすことで、子どもに優しくなれた

子どもの行動に過剰に反応して怒ってしまう現象を細かく見ていくと、先に紹介したように我が子の行動から私が受け取っているメッセージがあることに気が付きました。

例えば、

PC作業中に子どもに話しかけられると
「私の邪魔をしようとしている」というメッセージを受け取ってしまい、

「今話しかけないでよ!!」と、強い口調で子どもに怒っていました。

私が子ども頃、やりたいことを存分やらせてもらえなかった、
やりたいことがあってやろうとすると姉たちから馬鹿にされたりするのが怖かったなど、

常に自分は誰かに邪魔されているという感覚がありました。

PC作業中に話しかけてくる私の子どもたちは、私の邪魔をしようとしていたわけではなかったのに。

ただ話しかけてきただけなのに、
私は「邪魔された!」と感じていました。

そこに心の傷(トラウマ)が残っていたからでした。

子どもの話しにちゃんと耳を傾けられる親になりたいのに、トラウマのせいでできないことが本当に苦しかったです。


トラウマを癒やすために、

私は本当はどうしてほしかったのか?
どう感じながら育ちたかったのか?ということを、とことん探りました。



子どものころ、やりたいことを思う存分やらせてほしかった
やりたいことを親からも応援してほしかった
姉たちが邪魔することから、私を守って欲しかった

自分は大切な存在だと、感じながら育ちたかった。


自分でできる限りの記憶を辿ってトラウマを癒そうとしましたが、自分一人でやるには限界がありました。

自分が生きたい人生が生きられない苦しさで家事育児ができない、部屋から出られない状態になり、ようやくカウンセリングの力を借りて、トラウマの癒しが少しづつ進みました。


「やっと、自分が生きたかった人生が生きられる」


それまでの40年の人生、常に心がざわついていて休まることがなかったのが、初めて穏やかさを感じました。

自分が生きたかった人生のスタートラインに、やっと立てている気がしました。

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