50歳。

『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』



その昔。まだわたしが小学生だったころですねぇ。

父親に言われたんですよ。

「50歳になったらもういい、十分生きた」みたいに。

それについて、わたした伝えたのは。

「あなた、50歳だったらわたしまだ高校に入ったばかりではないですか?
せめて高校を卒業するまでは生きていてくださいよ」と

わたしは
彼に頼んだのです。


父はなんていうか大変な幼少期を過ごした人でその
たくさんのトラウマをかかえるにふさわしい出来事で。
ずっとそれをフラッシュバックに耐えながら生きていたのだろうと
今の私は思うのです。

だから「もういいよね。ゴールしても」ってずっと考えて暮らしていたんだろうとそりゃ、思うんですよ。

>父は満州帰り

でもそんなもん知らんですし。

親に「早く死にたい」っていわれているこどもって考えてみたら不幸なんだろうとおもうんですが

父に「まだ生きて」と私は伝えていて。

のちに父に「この子に生きていてくれといわれたから」とニコニコほめられたりなんだり?たぶん

そう褒められたりしたんだと思う。

そんなことを最近思い出すのですが。

父が60歳になったとき、わたしは次女を出産し。

あの60歳違いの二人はこの世で一番仲良しだったんじゃないだろうか?と
思うような毎日を過ごすなどしました。

満州帰りであの「地獄」のようないろいろをみた父にとってあの

孫娘が二人いる、そんな生活はどんな「夢」みたいな毎日だったんだろうか?と、彼が亡くなって10年とかの月日が過ぎて行って。

そういうことを考えながら。

わたしもどういうわけだか50歳を過ぎてしまった。

さすがにわたしも結構いろんなことがあるこどもだったので
早くこの世を去りたいとあれほど考えていたのだけれど
さすがに…さすがに。自分の子どもに50歳で死にたいとはいったことがないなぁwww

と思ったりなんだりして。

父のその気持ちもわからないではないんだけれど

酔っ払っていたとしても。本音だとしても50歳でわしは死にたいんじゃって

いわれている小学生の子どもの気持ちはやっぱり

メンタルを病んでもおかしくなかったのだろうと…思います。


そんな小学生時代にわたしと過ごした親友が二人ほどいるんだけれど。

一人は「一番楽しかったから」とわたしと遊んだ記憶のある
小学校時代の遊び場で首を吊り。この世をハタチで去っていき。

もうひとりの友人は、40を目の前に、子宮頸がんで亡くなりました。

の世界にあまり最初から未練がなかったはずのわたしだけが


この世界に取り残されているのです。


そしてめっちゃつまらないことなんだけれど。

わたしの誕生日に。

(不穏当につき削除)

私の誕生日はいつもまにか悲しいだけの日になっていたりします。

そうやって。なんでもない日のほうが「なんでもなく平和」で。

誕生日は悲しい日なのです。

それでもわたしはまだ生きていて。
まだまだ先が長いやらなければならないことが残っていて。

やらなければならないこと、を
うちのこどもたちに残すことはできないのでまだ生きます。

50歳っていうのすごくすごく楽しみにしていたような気がするんですが
気が付いたら一年はやかったな。


明日には51歳です。

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