童具に欠かせない条件のひとつは質のよさ
明治27年に発行された「通俗絵入男女児育法亅という本の中に、当時のおもちゃを批判したこんな記述があります。
「……元来玩具を製するものは(略)児童の面白がりさうな物、成るべく目について売れさうな物、又成るべく利益のありさうな物を目的として之を製造し……」
これは、今日のおもちゃにもあてはまる批判で、世の親がおもちゃを選ぶときによく考えなければならない点のひとつでしょう。とくに戦後は、化学技術の進歩によって、ビニール性、プラスチック製の大量生産が可能となり、いわゆる“安かろう悪かろう”が子どもの世界を侵略してきただけに、的をえた批判でした。
もちろん、プラスチック製のおもちゃがすべて俗悪だなどというつもりはありませんが、木製や金属製であるべきものが安易にプラスチックでつくられているとすれば問題です。本来、品質の高いものは、材質のよさをいかに生かすかに神経をはらっています。「大人は目で見るが、小さい子どもは手で見る」という言葉もあるように、子どもとおもちゃの出会いは、まず、手ざわりから始まります。
木の感触、布の感触、プラスチックの感触、金属の感触を通して、子どもはものの本質に対する感覚を無意識のうちに磨いています。手のひらに伝わってくるぬくもりのある木だから意味のあるものを、プラスチックに変えたり、塗料で塗ったりしたのでは、「成るべく目につくもの、又成るべく利益のありさうな物」を目的として、おもちゃはつくられていると批判されても仕方がないでしょう。
そうしたものから子どもを守ってやれるのは、親しかないのですから、おもちゃに対するしっかりとした選択眼を養うことが重要な親の役割ということになります。
わたしは同じ6センチ角の立方体をいくつかの木工所に試作してもらい、現在製作を依頼している木工所に決定しました。図面に従って同じものをつくっても品のある立方体と品のない立方体が生まれることを知っていたからです。よいおもちゃは形態や機能にあった材料を選んだものであるばかりでなく、直接に製作する人間の品性も製品に反映されます。子どもの感性を育てるうえでつくられたものの品位はとても大切な要素だと思っています。