善意を個人の得にしてはいけないという風潮は何なのだろう#73
こんにちは。わくわくらすです。
あなたは自分に全く得のない善意は存在すると思いますか?あるとしたらそれはどういうシチュエーションでしょうか。
こんな記事を見ました。
タレントの武井壮さんがコロナで苦しむ飲食店を対象に「10万円企画」というものを始めたそうです。
TwitterなどのSNSで応募があって選ばれた飲食店に行き、食事をしてその料金として10万円を支払うというものです。
このような企画自体はもしかしたら、色んな人がすでに行っているのかもしれません。ですが、私が感銘を受けたのは武井さん自身がこの企画を「100%慈悲の気持ちでやっているわけではない」と公言しているところです。
この企画には賛同の一方、批判もあるようです。
「売名行為だ!」「YouTubeの再生回数を増やすためだろう」など。
こういった批判に対して武井さんは
100%慈悲の気持ちでやっているわけではないから。でも、こういうことをすることが人間的な成長にもなると思っている。誰かのために動いた1日って価値がある。綺麗事だって言う人もいますが、タレントってスキャンダル起こすと仕事がなくなるじゃないですか。キレイなことをしてないと仕事もらえない。だったら僕はタレントでいたいし、良いことをしようって凄く思っているので。
このコメントを生放送という場で言えることにただ驚いています。
自身が清廉潔白を求められていることを理解し、それに真正面から向き合っている。今後もタレントでありたいがために求められる姿も受け入れようとしているという解釈を私はしました。
なぜか人は善意でやることに対して、その人の得が見えることを嫌います。特にお金が絡むとその傾向は顕著です。
少したとえが適切ではありませんが、戦争が起こる理由を表すときに「正義と正義のぶつかり合い」なんて言われることがあります。お互いに戦争をする理由があり、お互いにその理由を正義だと思っている。我が国日本でもそういう時代はあったことでしょう。
ただ、今回の武井さんのような人を助ける意味での善意に対する批判は、どうも正義からきているものだとは思えません。困っている飲食店に金銭的な援助をすることに反対する人はそう多くはないと思うからです。
では、このようなことを批判する人はどういう人なのか。
私は「うらやましさ」が根底にあるのではないかと推測します。
本来、人に奉仕するということは人間の喜びの1つです。自分のしたことで相手が笑顔になったり、自分を敬ったりしてくれることを嫌いな人はいないと思います。
でも、それが出来そうもない状況にある人が、自分のやりたいことを軽々とやっているように見えたら、どう思うでしょうか。
そう、「あいつはずるい。そうやって人から良く見られようとしている」という気持ちだと思います。
結局、善意に対する批判は「嫉妬」があると思います。
「お金があれば自分だってできるのに」「有名人じゃないからできないんだ」と心渦巻いているのではないでしょうか。
いいことをして、良い評価を得ることを許せない人が世の中には一定数いるんだな、と実感した記事でした。
お読みいただきありがとうございました。
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