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富山県出身の私が富山ツアーに参加してみた(藻谷浩介さんのバス講演ツアーの醍醐味)

2024/10/29-31に藻谷浩介さんのツアーに参加した。なぜ参加したか?理由はいくつかある。


・能登でボランティアをしたかったが、どうにも良い手がなかったので、まずは災害地の視察とできる支援(お買い物等)をしようと思ったから
・高校卒業まで富山県在住で富山をこよなく愛するのだが、両親が他界(母が10年前、父が6年前)し、富山に行くきっかけや理由がなくなったため、富山行きの理由が欲しかったから
・富山出身と言えども、高校生までは自宅と学校(保育園から高校まで全て徒歩圏内)を往復しただけなので、実は富山を知らないのではないか、と薄々感じていたから
・ツアー申し込みの頃、日経新聞の「私の履歴書」が鈴木忠志(演出家)の執筆で、富山県利賀村の富山県利賀芸術公園や劇団SCOT(スズキカンパニーオブトガ)のストーリーに引き込まれ、富山に行きたくて仕方がなくなったから

富山ツアーに参加した理由

予想通りである。本当に驚いた。能登も富山もろくに知らない自分を発見してしまった。

ツアーはこんな感じ

「バス講演ツアー」ってどんなんだろう?と思っていたら、なんと、バスに乗っている間中、藻谷浩介さんはずっとバスガイドさながら講演会のように喋り続けるのである。本当にすごかった。感動もしたし、藻谷さんのファン度はさらに高くなった。その上、藻谷さんのお父さんは詩人の藻谷銀河氏で、私と同じ小杉町(現在は射水市)出身ということで、さらなる親近感が強化された。(しかし、藻谷さんは私のことは覚えてはいないだろう。)

参加者は14歳から84歳までの36人、スタッフの方々を入れて40人強というツアーだ。参加者は北海道から九州までの在住者で、おひとり様はもちろん、夫婦、家族、父と娘、地域の仲間、、、いろんな職業のいろんな立場の人が集まった。共通の話題は「藻谷浩介」「地域」「学び」、、、どう表現して良いのかわからない。本当に不思議なツアーであったし、最高に面白い、学びの深いものだった。

ツアーの内容については同行者の富山県職員のミヤザキさんのインスタグラムでみていただくのが良いだろう。

2泊3日のツアーで、二日目の夜には南砺市長の田中ミッキーさんも同席されていた。利賀村のお寺の住職とのことだったので、3日前に利賀村芸術公園の屋外ステージで、一人で歌を歌った話をしたら、彼は選挙演説の練習にその場所を使っていたとのこと。階段に広がる聴衆席を前にスピーチ練習や歌の練習をするには、誰にとってももってこいの場所だったのだと思わず笑ってしまった。

利賀芸術公園のHPより引用。この水面上に舞台があり、見えている階段が観客席(だと思う。)観客0、俳優1(私)でリサイタル!

おっと、ツアーの話をしたかったのだ!

能登、和倉温泉(被災地)
テレビのニュースや新聞で見るより、自分ごと感がとても大きなものになる。やはり見るだけでもいいから、現場に行くべきだと思った。そして、たくさんの人に伝えないといけない、と思った。10ヶ月が過ぎたのに、復興の兆しはあまり感じられなかった。東京から遠いからだろうか?ここの皆さんはどうしたら良いのだろうか?能登原発は実現しなかったが、もしも予定通りにできていたなら、今頃は世界的な大惨事となっていたかもしれない

富山に入って
能登から続く海岸沿いの氷見では今後取り壊す予定の家々が並んでいて痛々しかった。見た目には玄関あたりにちょっと段差があったり、建物の壁に亀裂が入ったりで、修理して使えそうに見えるのだが、案内くださった方の、「あそこからあそこまで(数百メートルの距離)は2,3軒を除いて、全て取り壊す予定です」という説明にドキッとした。自分が同じことを言われたら、どうやって生きていこうか、と考えた。

私の父は富山県西部の出身で、今回訪れた南砺市(井波、城端、福光等)には私も子どもの頃連れて行かれた。(弟とじゃんけんをして、負けた方が父と、勝った方が母と行動、ってちょっと酷くないか?私は負けたから父と一緒に福光町に行ったことを思い出した。)同じ富山県内でも散居村の家やお寺は静謐さがあり、町に住む私にとっては自然に囲まれる、なんとも言えない清々しさを感じたことを思い出した。私が自然が好きなのは父の実家での経験が理由なのかもしれない。

いくつかだけ写真を共有。これでは伝わらないことがわかっているから、自分のために。


板画家棟方志功が疎開していた旧福光町。これはお寺の研修所が宿泊施設となった別院の部屋に飾ってあったホンモノの棟方志功の作品。「一人が光ったら、みんなが光るようになる、自ずとシェアされていく」と読み取った。素敵だったから写真を撮った。550年の歴史を持つ名刹・城端別院善徳寺の敷地内にある杜人舎に宿泊した。
城端別院善徳寺
若鶴酒造の跡取り35歳青年が力を注ぐウイスキーは世界展開ができる商材であることが彼のやる気の炎を燃え盛らせたようだ。祖父の作ったウイスキーを60年後に飲める、ってすごい。


井波別院瑞泉寺では始めたばかりのナイトツアーを堪能。夜だからこそランマに掘られた龍や生き物が浮き上がってくる。
散居村って学校の社会科の授業で習いますか?私が子どもの頃は教科書に写真がありました。それが珍しいものとは知らなかったけど。
能登シンボル見附島は2度の地震で全体が半分になってしまったそうです。正面から見ると後がわが崩れたので、見た目にはわかりにくいそう。
能登空港の駐車場を利用して復興作業員宿舎が作られている。市街地や和倉温泉でも至る所に仮設住宅があり、被災の方々と作業の方々用。駅のロータリーの道路を利用して仮設住宅があったり、二次災害にならないよう、さまざまな工夫がなされていた。

震災地の全壊・半壊の建物等は本人や関係者がご覧になったら心を痛めるだろうから、web媒体には載せないことになっているので、写真はこの辺でおしまい。

しかし、10ヶ月経っても立て直すことは愚か、解体することもできないそうで、毎日あの建物を見るのは本当に辛いことだと思いました。

令和6年能登半島地震の被災地の方々においては、1日も早い復興をお祈りすると共に、小さなことでも私にできることをしようと思いました。ちょっとの買い物と情報のシェアから始めます。

和倉温泉では復興作業に来ている方々と同じ宿でした。単発の方もあれば、長い方は3年も能登で復興作業にあたるそうです。

しかし、、、高校まで住んでいる地元のことはほぼなにも知らないに等しかったなぁ、と。高校卒業前にもっと地元を知る、学ぶ機会が子どもたちにあるほうが、もっと郷土愛も育まれ、大学卒業後に帰ってくる若者が増えるかなぁ、とも思いました。

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