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内的な時間の流れをケアすること

「春隣(はるとなり)」という季語があるそうです。松本はまだまだ気温は低いですが、まさに春が隣まできているような明るい陽射しが届く日もあり、ほっこりとします。

以前ご紹介した「夢が語る心の深み〜心理療法と超越性」の中で、渡辺雄三氏は、心について、「気象学モデル」と、「精密機器モデル」という考え方をされています。

どうしても私たちは、こころというものの通常を、いつも明るく元気であるもの、絶えず前に進み続けて停滞や後退は起こらないもの、不安や憂うつはめったにあり得ないもの、すなわち時計のような「精密機器モデル」に沿って考えてしまうし、またそうあるべきものというイメージを強く持っている。(「いつも明るく元気に!」は小学生向けのポピュラーな評語である)〜(「夢が語る心の深み〜心理療法と超越性」渡辺雄三著)

ここまで極端でないにしても、先日の「ドリーム・ワーク」の中で、わたしは、物事をある一定のペースですすめようとする、またすすめられると思っている自分の心の在り方に、出会ってしまいました(はからずも!)

一方で、内的な、「独特の時間の流れを持っているわたし」の存在を今まであまりケアしてこなかったこともにも気づき。。。。ちょっとした衝撃を受けたのでした。

夢は、内的な時間の流れに照らし合わせると、「もっとゆっくりしたペースで世界を味わいながらすすんで行きたいし、立ち止まることもある。いや、後退だって時にはあるよ。」と言いたいようなのです。

先の本では、「気象学モデル」というこころの見方をこんな風に鮮やかに説明されています。

大きな視野や長期的なリズムで見てみれば、春夏秋冬の四季のごとく、春のような生命の蠢きや好奇心旺盛な萌え立つ力が心中深くに感じられる日々もあるし、かと思っていると、夏にも似た激しく熱い衝動や強い性的欲望に支配され、一方的に振り回されてしまう瞬間がやってきたりする。その時間もいつの間にか過ぎ去って、涼しい風が急に吹き抜ける秋のごとく寂寥感に無性に囚われたり、暗い冬の到来を思わせる陰鬱な停滞や抑うつ状態に否応なく陥ったりする。だがその冷たい冬の季節も永遠に続く訳ではなく、思いがけない時に、穏やかな春の日差しをからだに感じていたりする。人間のこころは、こうした四季の移り変わりのような、大きなリズムでゆっくりと変動しているのではないだろうか。(同書)

著者も述べていますが、「精密機器をモデルとしたこころ」のイメージによって社会全体が支えられている側面もあるでしょう。みんなが個々の内的な時間だけを頼りとして動いていたら、時間の約束はあり得ないし、学校や職場などの社会生活が成り立たなくなります。

ただ、精密機器のように常に一定に時を刻む、社会的な時間の流れだけに沿っていると、「内的な時間の流れの中にいる繊細なこころ」は置き去りにされてしまうのです。(子どもは、内的な時間の流れに沿って生きているんだろうなあ)

自分の中で、2つのこころの在り方、つまり、「内的な時間の流れをもつこころ」と「社会的、機械的な時間に添いたいこころ」とをどんな風に折り合いをつけていくのか。一筋縄ではいかないでしょう。ひとまず、「心の天気、季節はどんなでしょう?」といつも内側に問いかけながら、焦らずやっていきたいと思います。

わたしたちが、内的な時間の声を聞いてすすんだり立ち止まったりする時、それは豊かな時間の流れになるのではないかと思うのです。

これは今年の大きなテーマ。何と言っても、ワークしたその夢は「初夢」だったのですから。(写真は初冬のアルプス公園)

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