内的な時間の流れをケアすること
「春隣(はるとなり)」という季語があるそうです。松本はまだまだ気温は低いですが、まさに春が隣まできているような明るい陽射しが届く日もあり、ほっこりとします。
以前ご紹介した「夢が語る心の深み〜心理療法と超越性」の中で、渡辺雄三氏は、心について、「気象学モデル」と、「精密機器モデル」という考え方をされています。
ここまで極端でないにしても、先日の「ドリーム・ワーク」の中で、わたしは、物事をある一定のペースですすめようとする、またすすめられると思っている自分の心の在り方に、出会ってしまいました(はからずも!)
一方で、内的な、「独特の時間の流れを持っているわたし」の存在を今まであまりケアしてこなかったこともにも気づき。。。。ちょっとした衝撃を受けたのでした。
夢は、内的な時間の流れに照らし合わせると、「もっとゆっくりしたペースで世界を味わいながらすすんで行きたいし、立ち止まることもある。いや、後退だって時にはあるよ。」と言いたいようなのです。
先の本では、「気象学モデル」というこころの見方をこんな風に鮮やかに説明されています。
著者も述べていますが、「精密機器をモデルとしたこころ」のイメージによって社会全体が支えられている側面もあるでしょう。みんなが個々の内的な時間だけを頼りとして動いていたら、時間の約束はあり得ないし、学校や職場などの社会生活が成り立たなくなります。
ただ、精密機器のように常に一定に時を刻む、社会的な時間の流れだけに沿っていると、「内的な時間の流れの中にいる繊細なこころ」は置き去りにされてしまうのです。(子どもは、内的な時間の流れに沿って生きているんだろうなあ)
自分の中で、2つのこころの在り方、つまり、「内的な時間の流れをもつこころ」と「社会的、機械的な時間に添いたいこころ」とをどんな風に折り合いをつけていくのか。一筋縄ではいかないでしょう。ひとまず、「心の天気、季節はどんなでしょう?」といつも内側に問いかけながら、焦らずやっていきたいと思います。
わたしたちが、内的な時間の声を聞いてすすんだり立ち止まったりする時、それは豊かな時間の流れになるのではないかと思うのです。
これは今年の大きなテーマ。何と言っても、ワークしたその夢は「初夢」だったのですから。(写真は初冬のアルプス公園)