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ただ愛に満ちている【モーニングエッセイただの何者でもないあなたへ11】

今月11月から毎日書き始めたモーニングエッセイ、11月11日で当たり前だけど11回目となりました。当たり前?いや、そうなのかな…世の中当たり前なんてことないのかもしれない。毎日は密やかな奇跡の連続に満ちていて、わたしたちはその奇跡の内側に存在しているのかも?

人はいつだって何者にもなれるし、ならないことだってできる。ただの何者でもない状態が自由だとすれば、そこはゼロの領域で、フリーエネルギーが湧き出る泉のように、そこからいつだって始められるし終わらせることもできる。終わりは始まり。始まるから終えられる。それもこの地球上のルールで特別な奇跡。

あなたは何者ですか?

わたしは今は長女としてのわたしとただの何者でもないわたしを行ったり来たりしながら、終わりと始まりの最中にいます。

日々が奇跡のようにうつくしくて、痛いほどです。

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ここからは繊細な方や心配性の方や、同じ境遇だけど、まだ自分の内が感情と共に定まらないとご自分で感じる方は読まないでくださいね。落ち着いて、必要だと感じた時にまたご覧ください。



いよいよ入院中の母の状態が悪化してきてる。

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病院から呼び出しを受け、主治医から家族へあらためて話しがしたいということで覚悟はしてきたけど、実際に説明を受けると少し動揺した。

要するにもう最期に向かっているということ。その期限もたぶんあと少しだということ。終末期であるということは本人も知っていて、それでも出来るだけ自宅で過ごしたいという希望の元、自宅にいながら通院していたが、痛みのために先月から入院。容態も少し安定したので帰れる時に一時帰宅したいということで、今回はその付き添いのため、また実家へ帰る予定でいた。でもそれも叶わず、少しだけ病院での説明の際に顔を見られただけ。車椅子で連れられてきた辛そうな母の背中を入院着の上からさすると、これまで自宅にいる時にさすっていた時と違って、ふにゃっとした感触がした。ああ、もうお母さんのからだは逝く準備をしているんだなと感じた。

でも、温もりはあった。当たり前だ。人は死ぬまで生きているから。

生きているのが当たり前だと思っていた自分の母がもうすぐ地球からいなくなる。そのことも不思議で、昨夜、夜中に目が覚めた時にいろいろ思い浮かべた。幸せな人生だったと思う、とまだ自宅にいた時に母は自分に言い聞かせるように言っていた。

何かことあるごとに心配性の母、ネガティブな方面に捉えがちで、怒りん坊で受け取り下手で素直でなかったけど、弱音を吐かず自分を曲げず自らの人生に忠実に生きてきたんだね。今になってやっとそれが理解できました。

最期のそのときは、愛に満ちて、満ち溢れた光の中へ安心して旅立って欲しい。

地球では親不孝者の娘だったけど、この世界で出会えたことが今はうれしいし、心から感謝しています。

お母さん、大好きだよ。

わたしも自分の人生を精一杯生きます。

旅立ちの時に間に合うか、会えるかわからないから、ここに書いておくね。

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ありがとうございます。ごめんなさい。許してください。愛しています。

そうか、これは全部一緒のことだったんだ。

人間の内に全てある光のコトバ。内と外が重なるコトバ。

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今日の記事は、今の自分のために書きました。

今世の中的にもほんとうに激動の時です。変化することを恐れで止めてしまうと、すぐにぽきっと折れてしまうような危うさが常にあり、心身ともにやられてしまうようなハードさがあります。

しかしそれも準備体操のようなもので、全くあたらしい時代へ向けて、私たちはそれを真摯に受け入れて、それぞれの創意工夫を発揮し助け合っている人たちは報われる世界になってゆくと思います。表面上だけ見てるとそのことに気づかないかもしれませんし、別のドラマに自らハマってしまうかもしれません。

常に自分の内側を見て、人生がほんとうにわたしに求めているものが何か?をこれからも目を逸らさずにいたいと感じています。

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