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京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第14回 ラブコメと架空年代記のはざまで――完全自殺マニュアルと地下鉄サリン事件(PLANETSアーカイブス)

今回のPLANETSアーカイブスは、本誌編集長・宇野常寛の「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」をお届けします。今回は、80年代の消費社会下で出現した「終わりなき日常」とその反作用としての「世界の終わり」というモチーフが、どのようにして90年代の文化へと接続されていったのかを論じます。
※本記事は、この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです。/2016 年12月9日に配信した記事の再配信です。

80年代ラブコメの空気と『きまぐれオレンジ☆ロード』『超時空要塞マクロス』

ここまでは80年代の消費社会を「モノがあっても物語のない」時代と受け止めたサブカルチャーについて考えてきました。「ここではない、どこか」への脱出願望としてのファンタジーの機能がピックアップされ、当時のマンガやアニメが描いた冷戦期の最終戦争のビジョンはそのはけ口として受容されていったわけです。
しかしその一方で、この「モノはあっても物語はない」「いま、ここ」の「終わりなき日常」を肯定しよう、という思想もサブカルチャーは内包していくことになります。その舞台となったのは、以前取り上げた高橋留美子『うる星やつら』が代表するラブコメの系譜です。
70年代の少年誌が「スポ根」の時代なら、80年代の少年誌は「ラブコメ」の時代でした。もちろん、絶対的な連載本数においてラブコメがスポ根マンガやバトルマンガを圧倒したわけではありません。しかし、青年誌や少女誌に較べて決して親和性が高いわけではないラブコメという新興のジャンルがこの時期に拡大していったという意味において、80年代の少年誌はラブコメの時代でした。

そしてあの〈ジャンプ〉にすら、ラブコメは登場します。

きまぐれオレンジ☆ロード 1巻(Kindle版)まつもと 泉 (著)

これは、〈ジャンプ〉で連載された『きまぐれオレンジ☆ロード』という作品です。

(『きまぐれオレンジ☆ロード』オープニング映像上映開始)

この作品は見てわかるとおり、主人公の春日恭介(かすが きょうすけ)がロングヘアーの同級生・鮎川まどか(あゆかわ まどか)とショートカットの後輩・檜山ひかる(ひやま ひかる)のどっちと付き合うかという、ただそれだけのラブコメです。主人公の声はアムロの古谷徹が演じていますね。当時は男子中高生のあいだで、まどか派かひかる派かでの論争が起こっていたようです(笑)。
そして恐るべきことに主人公の恭介くんは超能力者なんです。キービジュアルを見ただけではまったくわからないと思いますけどね。しかも物語の進行に、主人公が超能力者であるという要素はほとんど関係していない。当時は超能力設定が流行っていたから「とりあえず入れとく?」って感じで無駄に超能力要素が入っているんです。いまだに、『きまぐれオレンジ☆ロード』で主人公が超能力者であることの意味はよくわからないですね。
まあ、この時代にはそれぐらい超能力が流行っていたっていうことです。これまで話してきたように、超能力要素には「ここではない、どこか」への願望が込められていたわけです。そこに「いま、ここ」を目一杯楽しむというラブコメの思想が歪(いびつ)に合体しているのがこの『きまぐれオレンジ☆ロード』という作品なんですね。

同じような動きがロボットアニメにも現れます。以前扱った『超時空要塞マクロス』です。

(『超時空要塞マクロス』映像上映開始)

この『マクロス』という作品では、ゼントラーディっていう宇宙人軍団と地球人が戦争して、総力戦の中で人類の命運を賭けた大戦争をしているわけですけど、その大戦争があくまでも背景でしかない。メインは主人公の少年パイロットが美人上司とアイドルデビューした同級生のどっちと付き合うかっていう、非常にどうでもいいストーリーです。で、結局美人上司の方とくっつく。アイドルってやっぱり恋愛禁止だからというのもあって、フラれたアイドルのほうは本当に「みんなの恋人」として歌を届け、戦場のヒロインになっていく。当時80年代のアイドルブームの影響を受けているわけです。
これが80年代半ばの大きな二つの流れなんですね。ひとつは「ここではない、どこか」を求め、現実の世界から失われたドラマチックな世界観をファンタジーの中で取り戻そうというオカルトや架空年代記への欲望。そしてもうひとつが「いま、ここ」を目一杯楽しもうと言うラブ&コメディーへの欲望です。そしてこのふたつがいびつに結びついているのが、『きまぐれオレンジ☆ロード』であり、『超時空要塞マクロス』だったんです。

80年代末の宮崎勤事件と過去最大のオタクバッシング

ここまで80年代のオタク文化を見てきたわけですが、さきほどの転生戦士たちの自殺未遂事件と同時期の1988〜89年に、オタク文化の盛り上がりに水をさす事件が起こります。
宮崎勤という当時20代半ばの青年が、近所の女の子を次々と誘拐して殺し、しかもそのうちの何人かの肉を食べたという「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」です。みなさんはこの事件のことを知っていますか? 知っている人は挙手してください。
……なるほど、かなり少ないですね。これは当時マスコミでもかなり騒がれた事件なんです。この宮崎勤という人物は、今で言う「非コミュ」で当時の学校社会や企業社会には馴染めずに親の印刷工場を手伝っていたんですが、アニメ・特撮オタクでもありました。実家の離れのような場所で暮らしていて、そこに録画したVHSの山があったことがマスコミで大きく報道されました。
この当時は「オタク」という言葉が生まれて5、6年経っていた頃ですね。評論家の中森明夫さんが「漫画ブリッコ」という成人向けマンガ雑誌でコラムを連載するなかで、二次元の世界に逃避する若者たち、どちらかといえばコミュ障の人たちのことを指すのに使った言葉が「オタク」だったんです。

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