「あだち充劇場」の集大成としての『クロスゲーム』| 碇本学
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
今回から、あだち充の現状最後の少年誌連載作品である『クロスゲーム』を読み解きます。消化不良のまま終了した前作『KATSU!』とは一転、新世代の編集者とのタッグで「逆『タッチ』」をコンセプトに始まった王道の恋愛野球漫画の成立背景とその作品史的な立ち位置を解説します。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第20回 ①「あだち充劇場」の集大成としての『クロスゲーム』
「喪失」を描き続けるあだち充
「クロスゲーム」は死者と向き合うことがひとつのテーマになってますけど、それはやっぱり自分の年齢的なものだと思う。兄貴も亡くなりましたから、いろんなことを自分なりに整理して描きました。
54歳から6年間、60歳手前まで連載したのか。『週刊少年サンデー』の最後の作品として、満足してますよ。ラストもいい感じだったなと。ああいうラストを選ぶことができた。これで週刊連載はもういいと思えました。燃え尽きましたね。〔参考文献1〕
どうせこの作品で、週刊連載は最後だと思ってたから、開き直って「あだち充劇場」をやるしかないと思ってました。ここまで読者に見捨てられなかった漫画家なんだから、もう何やってもいいんじゃないかなと。それが意外と、今までと違う漫画になったんです。〔参考文献1〕
前作『KATSU!』が2005年12号で最終回を迎え、わずか10号しか期間をあけずに、2005年22・23合併号から2010年12号まで約6年間連載をしたのが『クロスゲーム』だった。
インタビューであだち充が答えているように今作が現在のところではあだち充作品における最後の週刊連載作品となっている。
以前にも紹介したように、本連載ではあだち充のデビュー以降の作品史を四期に分けたことがある。下記にその第三期についての記述を引用する。
第三期は『H2』(1992〜1999年)、『じんべえ』(1992〜1997年)、『冒険少年』(1998〜2005年)、『いつも美空』(2000〜2001年)、『KATSU!』(2001〜2005年)、『クロスゲーム』(2005〜2010年)。連載誌が「少年サンデー」と「ビッグコミックオリジナル」の二誌であり、『クロスゲーム』が現状では最後の「少年サンデー」で連載した野球漫画となっている。
前回も取り上げたように、『クロスゲーム』の担当編集者・市原武法は小学館に入社し、「少年サンデー」に配置されてからずっとあだち充の担当をやりたいと言っていた。当時の「週刊少年サンデー」編集長だった三上信一はその意気を買い、それまでのあだち充の担当者たちのバトンを引き渡すように、「あだち先生を頼むぞ」という気持ちも含めて市原を『KATSU!』の終盤で担当編集者に指名。市原が企画の立ち上げからあだち充作品に関わるのは、この『クロスゲーム』が初めてとなった。
市原がこの時点であだちの担当編集者となって『クロスゲーム』に関わり、その後に「ゲッサン」を立ち上げなければ、今現在まであだち充が漫画連載をしていた可能性はかなり低かったのではないか。あだち充を少年漫画家として再生させる上で、市原が担当編集者になったのは、かなりギリギリであったものの、なんとか間に合ったという感じがする。
そして、市原の熱意をきっかけに、開き直ってあだち自身が「あだち充劇場」をやろうとしたことで『クロスゲーム』はそれまでのあだち充作品の集大成となった。そして、兄の死の影響があり、プロ編へ移行できずに最終巻で強引にまとめて終わらすことになった『KATSU!』では描ききれなかったものを、しっかりと引き継ぎながら描ききった作品となった。
「クロスゲーム」は最初から短い巻数で、ちゃんとした話をやろうと話してました。僕の担当では、木暮がもともと「あだち充ファン」だったけど、市原ほどのファンはいないかな。市原は僕の漫画をすべて憶えてる。特に「タッチ」は何から何まで憶えてる。
野球の話をやろうということになって、最初の1巻分は、主人公たちの子ども時代をちゃんと描こうと決めました。そこをちゃんと描いておけば、あとでなんとでもなるだろうと思った。〔参考文献1〕
「逆『タッチ』を描いてほしいんです」という口説き文句を連載開始前の打ち合わせの際に市原があだちに言った。
「面白いな、それで行こう」とあだちが了承したことでこの『クロスゲーム』は始まることになった。
『タッチ』といえば、1980年代を代表するラブコメ&野球漫画の金字塔であり、あだち充の代表作である。多くの人が『タッチ』と聞いて思い浮かぶのは、双子の上杉兄弟と幼馴染の朝倉南の三角関係だろう。そして、上杉兄弟の弟の和也が夢半ばで死んでしまい、彼の夢だった「朝倉南を甲子園に連れていく」という目標を兄の達也が引き継ぐかたちになって野球を始めたというものだと思われる。
市原が「逆『タッチ』」と言った時点で、亡くなるのは主人公の側ではなくヒロインの側だというイメージがあだちにもすぐ浮かんだのだろう。そう言った市原もヒロインとなるべき登場人物のひとりを殺してくださいと言っているようなものだった。
『タッチ』という作品があまりにも国民的な漫画だったからこそ可能になった「逆」バージョンとしての『クロスゲーム』は、ずっと第一線で戦い続けた少年漫画家のあだち充だからこそ描ける、いわば「あだち充劇場」を使ったデータベース消費的な作品でもあった。
あだち充作品では主要キャラクターだけでなく、物語の途中で主要人物に関係のあるキャラクターがある日突然亡くなってしまうことが多い。そのことで「人が死にすぎ」「主要人物の誰かが死ぬのが定番なんですか?」と言われてしまうのだが、物語の展開上仕方ないこともあるし、上杉和也のように連載前から死ぬことだけは決められていたキャラクターもいる。
人はいつか死ぬという現実を、あだち充はただ漫画で描いているだけだと考えるほうが自然でもある。また、あだちが好きだと公言している落語や時代劇では、人が亡くなるのは不自然ではないということもあるかもしれない。
あだち充は三男一女の末っ子であるが、3歳半上のあだち勉は戦後すぐの生まれだった。長兄は戦中生まれである。
あだち兄弟のような戦後生まれの「団塊の世代」は、人口ベースで見ればもっとも人口の多い層である。
筆者の父もあだち勉と同学年で、下に弟がいてふたり兄弟なのだが、幼い頃に墓参りに一緒に行った際になにも刻まれていない小さな墓石があり、父たちの生まれなかった姉だったと祖母から聞かされたことがある。戦後すぐの状況で栄養不足でありながらも働きすぎていたせいで流産したのだと祖母は教えてくれた。このように戦争体験者だった彼らの両親は戦後の復興と共に多くの子を作ったが、戦後すぐの貧しい期間においては生まれなかった子どもも多くいたし、大人になるまで成長できずになくなってしまう子どもたちもたくさんいた。
あだち充たち戦後生まれの世代は戦後の復興と共に成長していったが、同時に人が亡くなるのは今よりも当たり前で自然で身近なものとしてあったはずだ。
経済復興と核家族化が広がっていくと人が生まれるのも亡くなるのも病院というケースが当たり前のように多くなっていった(現在では緩和ケアなども増えており、かつてのように家で家族に看取られることや、大事な家族を看取ることを選ぶ人も増えてきているが)。
人間が生きていく中で抱えてしまうそんな「喪失」を当たり前のこととして描いているのがあだち充作品である。そして、人はいつか死んでしまうというリアリズムを漫画に持ち込んでいるとも言えるのではないだろうか。
バトル漫画などでは人が死ぬのは当たり前のものかもしれないが、そうでなくても日常生活の中で人がふいにいなくなってしまうという現実を、あだちは少年漫画でずっと描いてきたとも言えるだろう。
あだち充が主体性と責任を持つ大人という成熟へ向かっていく物語を描き続けてきたことと、物語の中でふいに人が亡くなってしまうことは繋がっているのではないだろうか。彼の漫画は夢を魅せる(夢に留まらせる)ためではなく、夢から醒ませて現実と向き合うための物語だからである。
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