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【新連載】碇本学「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」 第1回『あだち充の〈終わってしまう青春〉』

ライター・碇本学さんの新連載「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」が始まります。『タッチ』『H2』などのヒット作で知られる漫画家・あだち充。その50年にも及ぶキャリアは、戦後のアメリカの抑圧のもとで、日本の少年漫画が〈成熟〉を描こうとした試みでもありました。第1回では、戦後民主主義の落とし子としての3人の漫画家、手塚治虫・高橋留美子・あだち充について取り上げます。

なぜ今、「あだち充」を読むべきなのか

「2020年について何を想像するか?」と聞かれたとき、多くの人は「東京オリンピック」と答えるはずだ。
 今から約80年前(1940年)に行われる予定だった「幻の東京オリンピック」は関東大震災からの復興と皇紀2600年記念行事として準備が進められていた。しかし、支那事変の勃発や軍部の反対から中止となり、その後、日本は太平洋戦争に突き進んでいくことになった。
 1964年の「東京オリンピック」は、第二次世界大戦で敗戦した日本が焦土からの復興を成し遂げたことを全世界へアピールし、再び国際社会の中心に復帰したシンボルとして歴史的には認識されている。
 そして、2020年開催予定の東京オリンピックは、東日本大地震の復興を掲げて招致されている。
 日本で行われるオリンピックは、なぜか大災害や人災からの復興アピールを理由に立候補し、開催されるという流れがあるようだ。
 来年2019年には、宮藤官九郎脚本のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が放送される。ドラマでは、日本が初めて夏季オリンピックに参加した1912年ストックホルム大会から1964年の東京大会開催までの52年間を、三部構成で描くということが発表されている。

 この連載で取り上げるあだち充は、1970年(昭和45年)に漫画家デビューしており、次の東京オリンピックが開催される2020年は、画業50周年という記念すべき年でもあるということは、あまり知られていないかもしれない。
 あだち充は1964年の東京オリンピックの翌年に連載が開始され、スポ根漫画ブームの元祖と言われる『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)から始まったムーブメントに、終止符を打った漫画家でもある。スポ根の定義は「スポーツの世界で根性と努力によってライバルに打ち勝っていく主人公のドラマ」(米澤嘉博『戦後史大事典』より)であるが、あだち充は代表作『タッチ』において、それを乗り越えて過去のものとしたことで、少年誌だけではなく、漫画というジャンル全体の革新につながる新境地を切り開いていった。

 あだち充が描いてきた漫画とは何だったのか。それは一言でいえば「戦後日本社会の思春期」であった。
 戦後日本社会は、軍事はアメリカに丸投げをして、彼らの核や軍事力によって庇護されながら経済発展を成し遂げた。一方、表向きには過去の戦争に向き合い、「二度と戦争のない世界を」という平和主義を謳った。その矛盾した「本音」と「建前」の二枚舌を使い分けた繁栄が続いていたが、バブル崩壊以後の長い不況によりそれを維持できなくなっているのが現在の日本である。
 大人になることをできるだけ先延ばしして、責任を持ちたくないという「本音」と、自らの行動と発言に責任を持つ大人になることを対外的に表明する「建前」が当たり前のように、この日本社会には共存している。その「建前」の部分にあたる戦後日本社会の思春期の片側を、あだち充はずっと描き続けている。

 あるいは、1980年代の「ラブコメ」ブームは、「スポ根」や「劇画」の全共闘世代へのカウンターでもあったと言えるだろう。その中心となった『週刊少年サンデー』で大活躍していたのが、高橋留美子とあだち充という二人の若い漫画家である。
『うる星やつら』を大ヒットさせた高橋留美子が描いていたのは「終わらない思春期」であり、それに対して、あだち充が描いていたのは「終わってしまう思春期」だった。両者は相反し合いながら、同時に表裏一体の関係として『週刊少年サンデー』を躍進させる原動力となっていった。

 長く続いた昭和が終わり、構造改革に失敗し、先進国からも没落して、もはや経済大国ではなくなっていった日本の「平成」という元号がもうすぐ終わる。
 昭和の20年間と、平成の30年間を通じて、絶え間なく作品を描き続けてきた漫画家・あだち充。これまで彼が描いてきた作品の要素がミックスされた、現在連載中の『MIX』は、おそらく次の元号まで連載が続いていくはずだ。『MIX』を読むということは、昭和、平成、そして次なる新しい元号の「三つの時代」を読むということになるのかもしれない。
 あだち充のデビュー作から、最新作『MIX』までを読んでいくことで、かつてこの国にあった「青春時代」から、現在に持ち帰れるものはあるのだろうか。あるとすれば、それはどんなものなのだろうか。

クール・ジャパンと「日本すごい」論の不毛

 バブル経済とその崩壊による、1991年からの約20年以上にわたる日本経済の低迷は「失われた20年」と呼ばれた。さらに構造改革が失敗したことで、「平成」という元号の期間は、そのまま「失われた30年」になった、という印象である。
 21世紀に入ると、日本の漫画・アニメは国境を越えて海外にも熱狂的なファンがいることが一般的にも知られるようになり、それは国策として「クール・ジャパン」と謳われるようになった。
 2010年に経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置し、2013年には政府と電通など官民ファンドによる海外需要開拓支援機構(クール・ジャパン機構)が設立された。今年2018年のクールジャパン関連政府予算は459億円にのぼる(参照)。
 しかし実際のところ、投資と宣伝には税金が投じられているが、国内の人材育成はまったくされていない。
 国策というのならば、韓国映画のように海外でも戦えるようなレベルの人材を育てることが最重要の施策であり、海外の市場で日本とその国がどうコミットしていくかという部分に税金を使うべきだが、自国で売れているものをただ海外に持って行って、「日本の文化すごいでしょ!」という傲慢さは、かつての箱物行政の失敗を繰り返しているようにしか見えない。

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