終戦記念月によせて(2)
先日、帰省した際に父と選挙の話題になって、そこから安保関連の問題についても話す機会がありました。
私は父とは根本的に意見が合わないのですが(笑)、成る程、倍の時間を生きているだけあって、
個別・集団的の各自衛権はもちろん、報復の可能性も考えた駆け付け警護の否定など、ストンと理解できるものでした。
(身内を褒めるなら、池上彰さんよりわかりやすいかも。)
で、父と話したのはここまで。護憲・改憲の話は一切していませんので、以下は私個人の感想です。
私は今まで、9条って理想論だと思っていました。それに対して否定的なわけでは決してなくて、賛成派だけど具体的じゃあないよね、内実がないよね、と。
もちろん最高法規だから、具体的でなくてもOK。理想論でOK。細かな内容は諸法律に任せていればよいのだから。
ただ、北朝鮮や中国の脅威には理想論では対応できないよなァ、と。
ですから改定(『改正』という語はオカシイと思う派。)の議論は、すべきとは思わないが、しちゃァ駄目、と禁ずべきモノではないと思います。
こに関しては、安倍さんの言うように「手を付けちゃいけない聖域のように扱うのはおかしい」。
仮に言い出したのがどれだけタカ派の政党であっても、国民が選んだ議員である以上はね。
(よく左派系のテレビは、「ヒトラーでさえ民主的に選挙で選ばれたんだ! 国民が選んだ政権が何を始めるかわかったもんじゃない好例だ!」なんて言うけど、
それを言っちゃァ、つまり国民が誤ってるって前提で選挙をするなんざァ、民主主義の意味が半減ですわ。テレビは我々を衆愚と言いたいのかこのやろー。)
いや、私は憲法を変えたくはないんですよ?^_^; だから「手を付ける」っつーか、
『話し合った結果、変えない。やっぱり今の憲法がイイ!』
ってのが一番ベストルートじゃないかなァ。よさを再確認するっていうか、ね。
で、ここからが父と話して思ったこと。
もし父の言うように、『日本人が』1人も戦地で死なないために、或いは報復の可能性を極力減らすために、憲法9条がはたらくのならば。
憲法9条は決して理想論ではなく、ましてや世界の平和を目指すものでもなく、
(少なくとも2016年現在においては)実に残酷なまでの具体性を伴って、私たちの前に立ちはだかってはこないでしょうか。
(制定その当初どのような意図をもって起草されたのか、また、いわゆる「押し付け」かどうかの議論は別にして)今の9条の解釈は、
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』
↓ ↓
『私たち日本人は、戦争をしません。戦闘もしません。自国民が被害に遭うまでは、決してしません(先制攻撃は認められませんので、被害者が出たら初めて動きます)。
PKO活動でも1人の怪我人も出しません。自衛隊は、柔道やラグビーより怪我が少ない組織です。
友軍(っていう表現も微妙ですが…)が隣で虐殺されても動きません。500人殺されても動きません。自衛隊員が5人加勢すれば500人の命が助かる場合でも、負傷したら困るから動きません。
この場合の「困る」とは、負傷そのこと自体ではありません。 本人は静かに過ごしたくとも、帰国すると周囲が夜明けのカラスのように騒ぐのです。
(右も左も、です。右翼の連中は名誉の負傷者・英雄扱いで、それも困るのであります。)
なお母国に報復の可能性がある場合も助けません。とりあえず借金大国ですがお金は出します。
私たち日本人は、繰り返しますが戦争をしません。でも周囲の戦争を止める(停める)、または諌める・収める力も決意も勇気も持ち合わせてはおりません。
どうぞ皆さま、ご自由に私たちの周りで戦争をなさってください。
私たちは、ごめんなさい、大変恐縮ですが何もできません。悲しい目で皆さまを見つめ、極東の島国より、1日も早い解決を願掛けしております。
願掛けはしますが、決して紛争難民の受け入れにも積極的ではありません。本当にごめんなさいね。
私たち日本人は、人の命は地球より重いだなんて考えません。でも(上の理屈に照らせば)日本人1人の命は、外国人100人より重いのであります。』
…と、ここまで論を進めれば、「我々日本人は中国や朝鮮人より優れているんだ!」という大東亜的な往時の考えと、いかほどの違いがあるでしょうか?
もちろん!
もちろん、上の理屈を逆から見たら、とんでもないことになるのは重々承知してます。
「金は出さねえ、だが末端の隊員の命はくれてやるぜ」(ギャングのボス…、安倍さん!?)とも読めますからね…、私だってそれがいいとは決して思わない。
また唯一の被爆国として、未来永劫決して世界のどこにも加担せず、No!戦争!と言い続けていくことにも、意味はあると思います。
仮に、何をどれだけ罵られてもガンジーのような不屈の意志を持てるならば、ね。
……
以上は専門家でもなんでもない私の戯れ言です。戯れ言という言葉が相応しくないのなら、分析ではなく感想ないし疑問です。
主張ではございませんので、どうぞお手柔らかに、訂正があればご指摘くださいませ。
ちなみに「口語訳・憲法9条」というページを見つけまして、私の暴論よか余程参考になるかと思い、以下に貼らせていただきました。 ぜひ併せてご覧ください。
⇒ http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/14/right-of-collective-self-defense_n_5324288.html