#6 風通し
今日は、啓蟄(けいちつ)ですね。
土中で冬ごもりしていた生き物たちがゴソゴソし始める時期になりました。
昨日は、畑にじゃがいもを植え、お家の鉢ではイチゴの再生をはじめました。
それでも、まだまだ風は冷たく、炬燵もストーブも火鉢も大活躍しています。
我が家はまあまあ古いお家だから隙間風だらけ。寒いです。
そんな話しではなく、我が家の空気感に纏わるエピソードを書いてみようと思います。
我が家には、そこそこの頻度で来客があります。
来客とあると以前は、ご飯は何を作って、日中はこんなことをして、もっと手前に休みを取ってなどなど、考えることがたくさんありました。
自分がたくさん考えるからこそ、客になるときはなるべく相手が考えてくれたプランから逸れないように、失礼にならないように振る舞っていたように思います。
そうするのがマナーと思っている人だって多いはずです。
それにいいとか悪いはないと思います。
でも、我が家にやってくる人の様子を見ていると面白いのです。
我が家は住人がお気楽だからか、来客も来る前からゆるゆるとしています。
先日も二人ほど泊まりに来たいとのリクエストがあったので、みんなで部屋を片付けたり来客に合わせた過ごし方を話し合ったりしていたのですが、前日になって二人とも来ないことになりました。
昔の自分なら、よほどの断る理由が示されない限り、納得できなかっただろうと思います。
似た出来事があったら、怒る人、しょぼくれる人、疑惑の眼を向ける人もいるでしょう。でも、そこにはやっぱりこんなに頑張ったのに報われないこの気持ち、みたいなのがあって、その頑張りに応えるのがゲストの役割の一つだと信じているからではないでしょうか。
今は肩肘張って迎えようとしないからか、予定が変更になろうとキャンセルになろうと「ああ、そうか」「じゃあどうしようか」と感情よりも頭がくるくる動くようになってきている感じがします。
不思議だけれども、当たり前なことは、どちらかが玉ねぎの皮を剥くかのように、気楽で柔らかい人になると相手もそうなってしまうことです。逆もしかりです。
来客が来なくなっても、その人がそのとき優先したいことに時間を使えて、それを優先したいと伝えてくれることになんとも嬉しくなります。僕自身、こうも捉え方が変わるもんだな、とこう振り返ってみて驚きます。
相手の自由を許せないのは、自分自身が不自由だから、という誰かが言っていたことばが蘇ります。
自分自身の不自由に気がつき自由へ向けて歩み始めると、他人の自由に対してますます寛容に、そしてそれを喜べるようになっていくんだと思います。
とはいうものの、計画通りにことが進まないとイライラしてくる身としては、精進あるのみ、よりよくなるポテンシャルしかない様子です。