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#3 もてなさないもてなし

人をもてなさなくなった。より正確に言うと「もてなす」の中身が変化した。


少し前まで来客があるときは、事前に計画を立てて当日はそれを実行するのが「もてなす」ことだったことに、気がついた。


午前中はいちご狩りに行って、ランチはお洒落なあそこのレストランで食べて、食後のコーヒーは古民家を改修した話題のカフェで、その後、雑貨屋に行って、ディナーはウンタラカンタラ。


なんのことを当たり前のようにやっていたのだが、この暮らしの影響なのか、どこで何をするかよりも、互いが今大切に思っていることを聴き合うほうにウェイトを置くようになっていた。

もちろん外出して人に引き合わせたり、珍しい経験をする機会を作ったりして、楽しんでもらう工夫を凝らすことは全然否定しないし、それはそれですごく楽しい。


でも、楽しんでもらおうとする気持ちの底には、もっと仲良くなりたい、もっと知り合いたい気持ちがあって、もしそうならば何もぎっちり予定を詰め込まなくても話したかったことをとことんじっくり話し合えば、案外どこかにわざわざいく必要がなくなってしまうことがあるように思う。

 

最近は、来客があってもほとんどの場合、皆で炬燵を囲みお茶をすすりながら話し合い、ご飯を一緒に作り、一緒に食べる、つまるところ何ら特別な対応をしないままに、ゲストを迎えてきた。

もっと言うと、聴き合うなかで、もてなす側ともてなされる側の境界がどんどん薄れていく経験をしてきた。


ところがこの間、久しぶりにもてなされる側になって、あっちに連れていってもらい、お次はこっち、その後はあっち、と立ててくれた計画に沿ってみたらなんとも不思議な気持ちになった。


ひとつひとつの場で出会った人と心ゆくまで話したいのに、次の場所や体験、時間が気になってしまいどれも中途半端になってしまったり、そもそもどうして今日、予定を合わせて会おうと思ってくれたのかをもっとじっくり聞きたいのにスケジュールの実行に焦点が当たって忙しなくなってしまったりして、何かが置いてけぼりになってるように感じた。


「もてなし」とは、相手を楽しませるために具体的な行動をたくさん用意することではなく、相手を大切に思う気持ちや心構え、相手がいかなる状態であっても迎え入れようという気持ちや態度なのかなと思う。


楽しませようとすると、案外楽しんでくれているかどうかに気を取られ、自分も一緒に楽しむことを忘れがちだ。
それに、計画の実行が円滑かどうかに気を取られると、それはもう相手の気持ちなんかよりも計画の進捗という自己満足自己評価の世界に入っていってしまう。


一緒にいい時間をつくる。それが目下僕が人と会うときに大事にしたいことになっている今日この頃です。

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