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#12 馴染み

朝、お弁当を作っているとよく見た顔が台所を覗き込んでいる。

「おっす!」

その短い挨拶を数日振りに聴いて瞬間に、何かが心を巡り出した。彼の顔つきからも充実の旅だったことが想像された。


一通りの台所仕事を終え、朝食を一緒に食べながら旅の話しを聞かせてもらった。


全ての話しは流れであり、エピソードごとに切り分けることは困難だけれども、あえてここでは一つ印象的だったストーリーを文字にしてみる。

馴染む

馴染むという感覚を味わった、かいつまんで書くとそんな話しをきいた。

彼は音楽が好きで様々な楽器に精通している。最近、ギターがラインナップに加わった。

旅先では、かねてより尊敬するあるのミュージシャンに会いにいき、近い距離でその人が音楽とどのように付き合っているのかを学ばせてもらったとのことだった。

彼自身、短い人生ながらもそのなかで音楽や楽器と過ごしてきた時間は長いので、それなりの経験と知識がある。

そんな人が、身体に楽器が馴染むという感覚を始めて味わったというのだ。

演奏家と楽器の関係性。
道具と人との関係性。


それを聴いて、馴染むとはなんだろうと思った。


曰く、今までは値段が高い楽器が良い楽器だと思っていたし、有名なアーティストや業界人の評論に楽器の良し悪しの判断を任せていたという。

つまり、自分自身とその楽器との間に通う何かを確かめることなく、まず先に情報があって、それを頼りに楽器をセレクトしてきた今までだったというのだ。

ところが、
旅先で感じたことは、楽器とその人との関係性の重要性だった。

なぜその楽器なのか。

楽器は自分にとってどんな存在なのか。

その人は、高額でもなく最新のものでもない、19世紀のモデル要するに古い小ぶりなギターを使っている。それが、とてもその人らしいのだと言う。楽器も演奏もその人が現れているのだそうだ。

見た目の話しではなくて、もっと身体的な感覚。

試しに弾かせてもらったとき、音がギターからではなく身体から出るような感じがしたという。それで、そのギターは確かに彼の持ち物ではなかったけれども、それでもその楽器が肌に馴染むということがあり得るということに驚いたそうだ。

値段でも情報でもなく、背伸びしない等身大の自分に合った楽器、そんな自分に馴染む一品と出会うことがこれからは楽しみになったそうだ。

僕もそれを聞いてなんだかとても豊かだと思った。

人がそれぞれのように、楽器にもそれぞれがあって、そのマッチングというかその出会いから生まれるものが本当は面白いのではないだろうか。

僕らは、どういうわけかものすごく鋭敏なセンサーを持っていて、何かやどこかが自分にとって馴染みがあるかないか見極めることができる。
馴染みの喫茶店。
馴染みの客。
馴染みの土地。

人の心には、物や場所、人との距離の近さを推し測る力がどうもあるようだ。

それは、実はけっこう大事な力だったりしないだろうか。

でも、外からの情報にばかり気を取られるとそのセンサーの感度は鈍くなるか、もしくはセンサーが機能していることを忘れてしまう。


馴染むを感じることは、自分の感じたものを感じたままに大事にするとも言えそうだ

今朝の会話を振り返ってそんなことを思ったのだった。



※先週末は、Kambe Coffee Street なるイベントに行き、無事に美味しい珈琲をいただいてきました!
今後ともどうぞ応援よろしくお願いします😊






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