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忘れたくない大事なこと。
いろいろな技術が、ものすごい速さで進歩していく。
10年前、20年前、30年前……
どんな世界であったろうか。
少なくとも30年前、現在のようにAI技術が生まれ、こんなにもAIが身近にある生活になるなんて子どもの頃の私は考えもしなかった。
アプリで食事を注文すれば自宅まで届けてくれて、買い物もゴロゴロしながらできる。
パソコンとWEBカメラさえあれば、どんなに遠いところにいる人でも、いつでも顔を見て話すことができる。
本当に、便利な世界になった。
この時代に生まれた自分はすごく幸せだと思うし、恵まれていると思う。
だが、最近、技術が進歩しているがために少し寂しい思いをした。
今日はそんなお話。
セルフレジ。
利用したことがある人も多いと思う。
お店の人がいなくても、自分で機械にバーコードを読み取らせて会計を済ませることができる、これまた便利なシステムだ。
お店側は人件費を削減できるし、回転率もけっこういいのでお客さん側もあまり待たなくてよいのでWin-Winのシステムと言ってもよいだろう。
私自身もセルフレジの恩恵はけっこう受けていて、買う品物が少ない時にパパッとお会計できるので大変助かっている。
キャッシュレス決済のセルフレジも多いので、そういったセルフレジに関しては現金もOKにしてほしいと常々思っている。
さて、ある日のこと。
用事があって、以前住んでいた駅で降りた私は久しぶりに駅の中に入っている、いくつかのお店に行ってみた。
「このドラッグストア、こんなに広かったっけ?」
「あ、ここの雑貨屋さんは前と変わってないな。」
…こんな感じで、新旧さまざまに入り乱れる景色を楽しんでいた。
「この100均も懐かしいなぁ。」
住んでいた時によく来ていたこともあり、ひときわ愛着のあるお店だった。
そして、この100均には、私にとっての恩人がいる…ハズだった。
もうお気づきの人もいるだろうが、セルフレジの導入により、私の恩人はそのお店にいなかったのである。
チャキチャキした感じの、元気なおばちゃん店員さん。
その人は、私が落としてしまった息子の靴を、店先のすぐに気づける安全な場所に置いてくれた人だった。
息子をベビーカーに乗せて買い物に来ていたあの日。
息子はやっと歩けるようになってきたものの、私自身はまだまだ子育てが大変でヒィヒィ言っていたあの日。
歩く練習をした後、100均に買い物で訪れた際に店の近くに靴の片方を落としてしまっていたのだ。
それは息子のファーストシューズ。
今でも家で保管している、私たち家族にとって大事な記念品である。
当時、勝手に靴を回収してはいけないと、100均の中に入り、店先に置いてある靴が息子の物であると伝えた際、
おばちゃん店員さんは
「気づくといいなぁと思って置いておいたの。よかった、戻ってきてくれて。」
と言って、ニッコリと笑ってくれたのだった。
その瞬間、靴が見つかった嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになり、帰り道を歩く視界が涙でぼやけたのを今でも思い出す。
たかが靴で何を大げさな、と思う人もいるかもしれないが、私にとっては息子がはいた初めての靴なのだ。
思い入れがないワケがない。
そのおばちゃん店員さんがいるかもしれない。
たくさん来るお客さんのひとりだから、私のことはわからないだろうけど、それでもいい。
遠目にこっそりと「あの時は本当にありがとうございました」そんな風にお礼の気持ちを伝えたいなどと考えていた。
ところが、だ。
店内にあの元気なおばちゃん店員さんの姿はなく、代わりにいたのは、いかにも機械系統に強そうなお兄さんだった。
(もしかしたらシフトの関係でいなかっただけかもしれないし、彼女側の事情で辞めただけかもしれないが)
勝手に「今もあのおばちゃん店員さんいるかな?」と期待して、勝手に落胆したのは申し訳ないが、有人レジが普通にあって「次のお客様どうぞー」と声を掛けられて、お会計に進む。
私にとって、この100均ではそれが当たり前の光景だと思ってたし、それがずっと続くと思っていたのである。
人知れず一抹の寂しさを抱えつつ、別の日に以前よく行っていたスーパーに足を運んでみた。
すると、そのスーパーにもセルフレジが大量に導入されていたのだ。
このスーパーに子どもと一緒に買い物に来ると、お会計の時によく「あら、可愛いね〜!」などと声を掛けてもらっていたのだ。
幸い、そのスーパーには有人レジが残されていたものの、多くの人がセルフレジを利用していた。おそらく自分も回転率の良さからセルフレジを選択してしまうのではないかと思った。
そしてこの時、私は気づいたのだ。
セルフレジの便利さと引き換えに、私たちはお会計の時にする、店員さんとの何気ない交流の機会を失ったのだと。
ものの数十秒だ。
店員さんと会話をする時間なんてものは。
だが、確かにそこには人と人との繋がりがあったし、短い時間の会話でもほっと安らいだり、心が温まることだってあった。
繰り返すようだが、現代は物や情報に溢れ、さまざまな技術が進歩して本当に便利な時代になった。
だが、その便利さの裏側に、何か大切なものを置いてきてしまっているのではないかと、私はふと思ったのだった。
また、それと同時に強く思ったこともあった。
便利な世の中になり、失われてしまった人との関わり合いの機会。
しかし、SNSの発展により今まで交流できなかった人たちと繋がることができるようになったのもまた事実。
だからこそ、私は人との出会いを大切にしよう。
だからこそ、私は人とのご縁に感謝しよう。
だからこそ、私は人との交流を楽しもう。
私に流れ込んだ寂しさの感情は、同時に私の中にある気づきの芽を育ててくれたのだった。
私はこれからも、たまに現代の便利さと引き換えに失ったものに思いを馳せるだろう。
でも、おかげで手に入れることができた大切なことにも気づいていけるにちがいない。
人と人との心の繋がり。
いつまでも忘れたくない、大事なこと。
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