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ぼくの思う、人と文化  歴史と災害、そして平和と安全

 9月と言えば、アメリカ合衆国を襲った「9.11同時多発テロ」(2001年)だ。僕の親たちは間違いなく「関東大震災」(1923年)であったろう。戦艦ミズーリ上の敗戦・降伏文書調印(1945年)等もあるが、庶民と生活が大量犠牲になった生々しい事件としては、人災、天災の違いはあれど、この二つは忘れることができない。

 実際、「関東大震災」の9月1日は、「大きな震災でみんな燃えて、崩れて、沢山の人が死んだのよ。」と大多数の家庭で話が交わされたと思う。その時刻に鐘だったか、サイレンだったか合図があって、黙とうをしたものだ。しかし、もう戦後のいつだったかに、潮の引くようにして無くなってしまった。

 無くなると、関東大震災の恐ろしさとその復興に懸けた人々のことなど、一般に忘れられていく。しかし、日頃から地震、火災、津波に警戒する日本では、「関東大震災」の日を元に、1960年に「防災の日」が決められ、1982年には、8月30日~9月5日の1週間を「防災訓練週間」に定めたという。災害に対するイベントも1年を通じて数多く行われている。消防署などのご指導で、対策を実際に知り、助け合うことを心掛ける。流石と言ってよい。

 それなのになぜ、関東に住まう人々が、必ずしも9月1日の「関東大震災」を意識しないでも済むようになったのだろうか。当面のことが歴史に由来することを具体的に知ることがとても大切で、そこがどうも弱くなってはいないか。

 例えば、昭和35年6月17日の閣議了解「防災の日」の創設について、を読んでみよう。「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備するため、「防災の日」を創設する。/「防災の日」は、毎年9月1日とし、この日を中心として、防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事を実情に即して実施する。」どうも、歴史がスッポリ落ちている。ハウツゥ傾向だが、それでいいという「わけしり」の人も少なくないかも知れない。

 確かに「防災の日」が、「関東大震災」に由来し、1959年9月26日に襲った「伊勢湾台風」(僕は小学6年で、現地の6年生とのクラスぐるみの文通があって、産経新聞に写真入りで載った)が最大のきっかけになったことはネットで調べれば知ることができる。一日ぐらい国指定の休日にして、各地で防災の歴史と体験(訓練)を行ったらと思うんだが。

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 人災である「9.11同時多発テロ」(戦争という人もある)だって、黙っていれば風化していく。新しい世紀(21世紀)、新しいミレニアム(3千年紀)が始まった2001年の、世界史に刻みこまれた大テロ事件も、うかうかしていると一部の人びとのみが知る言葉になりかねない。いやもうすでにそうなっているのかも知れない。当時の小学生が社会に出ている時代だ。若い人々が9月11日と言われてピーンと来ないとしても、驚くことはないのかも知れない。

 人間は忘れっぽいとか、忘れるのが人間だ、などと言って済ませられない。しかし、その昔ビックリしたのだが、親の誕生日は無論のこと、母親の名前を知らない中学3年生男子に出会った。その子も、母親も歪んではいない。ちなみに有名私大の大学院に進学したそうだ。

 みんな知っているように、体験しなければ分からないことなど沢山ある。上っ面をなでて紙の上に丸を貰い、分かったと先に進む「知識」の世界。しかし、しかしである。「関東大震災」や「9.11同時多発テロ」を同じに扱うことなど出来ない。

 あの日の夜のこと、大学生の授業を終えてちょっと一息と、つけたTVから、晴天の朝のニューヨークの速報が飛び込んできた。ツインタワーに飛行機が当たった瞬間だった。最初は現実に起きている衝撃の事態であることとは思えず、どうしたんだろうと思って映像に目をやった。

 しかし、アナウンスが尋常でない。あっあぁ、これは現実だと、固唾(かたず)を呑んだ。何がどうなっているのか、誰も分からない。しかし、あり得ないことが起きている。それから間もなく、両ビルが次々に崩れ落ちてゆく。言葉を失う、とはまさにこのこと、恐ろしいことが起きていることだけは分かった。

 「9.11メモリアル日本」を主宰して今年で21年。毎年、志の高い芸術家が、東京の中央線沿線だが、集って演奏してくれる。多言を弄すまい。黙っていてはいけないからだ。それから直ぐにアメリカによるアラブへの爆撃が始まった(「不朽の自由作戦」と名付けられ、英国では「ヘリック作戦」 と呼んだ)。やがてイラクもターゲットになった。無数の市民、子どもたちの生命が奪われた。後はご承知のとおり。
 
 僕は哲学とその思考を学び、世界史にも関心を持っている。人々に様々な役割があるように、僕にはそういう役割が与えられたのだろう。犠牲者への追悼、歴史を見る眼、本物の平和に向かう心。多くの方々が、この日を特別の思いで迎えてくれることを祈っている。

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(9.11同時多発テロ、新しい世紀こそ、と思って迎えた2001年。僕は50代前半だった。これを忘れる世の中になったら人類は、まっしぐらにオシマイに向かう気がして、詩でこの悲劇を表現したいと毎日言葉を探した。そうだ、いのちだ、という当たり前のことに焦点が合うまで、年の暮れだったが、「証の墓標」という詩をわき目もふらずに一気に書きつけた。このことは改めて書く機会があろうかと思うが、是非読んでみて欲しい!!『証の墓標』は、詩集本として公刊されています。)


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和久内明
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