吹き込まれた考えに左右されない
もちろん、少し前だったら「有知」だったというのではない。大半がモデル的思考に陥っていたからだ。モデル的というのは、自分の信じるほうが正しいと見たら、その基準ですべての物事を判断しようという態度のことである。その中でも特に、「戦争」に対する態度が重大だろうと思う。
人一人の生死には言語を越えた意味や価値があって、他の何とも取り換えがきかない。言うまでもないことだ。しかし、ひとたび世界に目をやれば、「力対力」、「破壊力対破壊力」の構図があり、そこで動いている。
文系学問の世界でも同様なのかもしれないと思うところがある。例えば哲学系。誰々の説は、と始まって、「自説」を主張する。それがなかなかできない場(例えば「学会」のシンポジウム)では、自己発言で他と交わらずにいることが良策となる。こちらとしては面白くも何ともないんだが。
つまり政治を先頭にして、ワレがワレがと競ったり、あるいは妙な妥協や協力をしていく。これは、西欧流ではないのか。学問も西欧からの輸入だし、学校教育だってそうなのだ。西欧の模倣だけには行かない思考の延長線があるとすれば、西欧思想に対する相対的、批判的な可能性があったのではないだろうか。
欠陥を探す。そこんところだと思ったら、それを書いたり、発言したりすればよい。この意識には「学び」の思考力、反省の思考力が働かない。
受け入れてよいところを探す。そして其処をつかむ。欠陥に目が行けば、はて、と考えてどうするか考える。こういうふうには中々いかない。まして、何等か先入観があればなおのことだ。ここが難しいところだ。
ディスカッションとディベートの違いだが、ほとんど考えることもなく、アメリカ流というか、勝った負けたの言い合いの仕方を「学ぶ」。ディベート(debate) のベイトというのはフランス語を経たバトルが元で、戦いなのだ。なんでもアメリカというか、青い目に弱い。間違いもいいところだ。
誰々さんが言ったとかいうのを真に受けて、それに追随する。そういう自分もかなりそうした偏見に気が付くことが多くなった。昨今ではプルードン(仏、1809年~1865年)を読んでのことである。彼の思想は、いつの頃からか、プチブル主義、アナーキズム者という印象を植え付けられて、そのまんまだったのであり、思想史的にそれほど重要に思わずにいたのである。
ところが思想史に改まって取り組んでみると、いわゆる古代ギリシャについても、発見や反省があるし、19世紀となると、「自由」、「革命」、「議会主義」等々に改めて思い至る。そこで、試しに、プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』(1851年。マルクスたちもまだ若い。中央公論社〈世界の名著〉第42巻、1967年)を読んでみたのである。
読むや否や、これには参った。無視できる人じゃないし、思想でもない。相当な理論家だったと思われるのである。徹底した理想主義者だし、アナーキズムというのは、マルクス主義同様、現代につながる看過できない思想なんだなと、ぼくは思った。
次に10歳も離れていないカール・マルクス(独・英、1818年~1883年)との関係はどうだったかな、と遠くなった記憶をたどった。
そうだった。マルクスの『哲学の貧困』(1847年)だった。前年に『貧困の哲学』と題する本を書いたのが、プルードンだ。これは言うまでもなく、プルードンの著作への批判書だ。ちなみに誰もが知るマルクス、エンゲルスの若い時の著作『共産党宣言』(純粋には他の思想家たちが絡んでいるという指摘がある)は、1948年である。
『哲学の貧困』でのプルードン批判が、その後のマルクス主義者やその周辺にいた人たちの共通認識に至ったことは想像に難くない。
ぼく自身そう思い込んでいたのであって、いやはや心もとない限りである。だから吹き込まれたと思われる観念を探し出して、考え直してみなければならない。できるだけ本文に接して、である。
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