コザの夜に抱かれて 第3話
みゆきは一仕事を終え、屋上でタバコを吸っていた。空港通りを眺めていると、後ろでドアがあいた。幸枝だった。
「なんですか?」
みゆきは相手を見もせずに言った。
「すいません! みゆきさん! 一万貸してください!」
「いいですよ」
みゆきはくわえタバコのまま振り返って幸枝に近寄り、一万渡した。ピン札の五千円札とくしゃくしゃの、龍からもらった五千円札だった。幸枝が頭を下げる。さっき、みゆきをにらみつけていた人物とは思えないほどへらへらしていた。
「あ、あの。みゆきさん、なにに使うかとか、聞かないんですか?」
みゆきはすこし咳きこんで、煙を全部吐き出した。
「興味がないので」
「あ、す、すいません。……ちなみに自分今みゆきさんにいくら借りてますっけ?」
「二十万くらいじゃないですか?」
「す、すいません」
幸枝が頭を下げる。階段を駆け上ってくる音が聞こえた。みゆきは水のはいったバケツという、簡易な灰皿にタバコを捨てた。
「じゃあ、お客さんなので」
そう言い残すと、みゆきは幸枝をおいて行ってしまった。夜のとばりには、冷たい風が吹いている。
カラフルな虎の刺青。それがその客の特徴だった。名前は哲といった。彼は汗をかいたあとも風呂には入らない。恐妻家だからだ。行為が終わったあとは、かならずみゆきと時間いっぱいまで雑談したがるのが、彼だった。
「その手、どうしたんですか?」
哲の手の指には、あざが見てとれた。赤黒く変色している。
「ああ、ひとを殴ったからや」
「そうですか。なにか問題でも?」
「いやいや、大したことないわ」
みゆきは自分のからだを洗いながらたずねた。
「大変なことに、巻きこまれてはいませんよね?」
男は眉をぴくり、と動かしたが、努めて明るく言った。
「大丈夫やって。うちのおやじはチャカは嫌いやから」
「そうですか」
その言葉の端になにか事情を感じたが、みゆきはなにも言わなかった。からだの泡を洗い流して、となりに腰かけた。哲が手をつないできた。彼女はすこしだけ微笑んだ。
「おれも嫌いや。下のもんがけがしたりするのは。銃なんて、ここで使うのはあかん」
「かっこいいですね」
すると哲の顔が、かぁーっと赤くなり、恥ずかしそうにみゆきから目をそらした。
「いやー。だれも争いが好きな人間なんていないやん? そうゆうこっちゃで」
「だれも敵じゃない生きかたなんてできませんよ」
みゆきはそっと手を離した。白いタオルをすこしだけ濡らして、哲のからだをふいてやる。哲は無言のままそれを受け入れた。ふたりはそれからすこしだけ世間話をした。ときどき哲は、恥ずかしそうに後頭部をかいた。みゆきは丁寧に彼のからだをふいている。
「あー。そうや。みゆきにお土産があるんや」
突然哲はそう言って、紙袋から茶色い液体の美しい小瓶をとり出した。
「ウイスキー?」
「せや。みゆき、酒好きやったよな? 今はこんな安酒やけど、いつかいい酒買えるような一人前になるから」
みゆきは、つつましい百合のような笑顔を見せて、両手でそのウイスキーを受けとった。<メーカーズ・マーク>とラベルに書いてある。
「ありがとうございます」
「いいって。時間やな。ほなまたくるわー」
哲は高そうなスーツに着替え、セカンドバッグ片手に出ていった。とりあえずみゆきは赤色のふたを外し、ウィスキーをひと口のんだ。
「まあまあ、ですかね。」
二口目を口に運んだところで、みゆきは綺麗に折りたたんである、私服に着替えた。
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