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地球は彼女を飾って【小説】第一話

地球は彼女を飾って
湧上アシャ

 剛(カン)優花は十五の誕生日を、だれからも祝ってもらえなかった。それはしかたないことで、彼女は学校に行っていなかったし、兄妹もいなければ、親も仕事で出ていた。
 おなかすいたなあ。優花は着替えて家を出た。鍵はしっかりとかけて、首にぶら下げた。外はもう冬。雪がちらちらと降っている。黒く長い髪は、雪で濡れて冷たく輝いていた。彼女は近所のごろつきに頭を下げてあいさつしながら、廃墟のビルに入った。
 割れた窓ガラスが散乱している。白いスニーカーでその中を歩くたび、パキパキとガラスのわれる音がする。彼女は長い階段をゆっくりとのぼった。
「トニー。」
 屋上につくと、そこにはトニー・陳がいた。優花の三つ下で、子どものすくないこの地域では、彼女にとって弟のような存在だった。ぼさぼさ髪のトニーはいつもと同じ赤いコートを着ていた。
「優花ねえちゃん。もうとっくにやってるよ。」
 トニーはポリ袋に入れた液体シンナーをやっていた。親が遅くにしか帰ってこないうえに、冷蔵庫にはなにもない。そんな家庭で暮らしているふたりは、空腹を紛らわすために空っ風の通り抜ける屋上で、ちいさくなって身をよせあい、よくシンナーを吸っていた。それを教えたのは、やはりその街にたむろするごろつきだった。
「先にはやらないでって言ってるでしょ。」
 すこし怒った表情で優花はシンナーの入った袋を奪って吸いはじめた。だんだん頭がぼーっとして、緩いトリップに入る。雪が積もってきたが、そんなことはふたりには関係なかった。彼女たちにとっては家のほうが、風の吹きすさぶこの場所より寒いのだ。
「そういえばさっき張さんと喋ってたんだけど。」
「またー?あのひととはあまり喋っちゃいけないって言ってるでしょ。」
「ごめんごめん。でもやっぱり都会はいいって言ってたよ。食うものにも困らないらしいし。仕事もあるって言うし。」
「わたしたちにできるような仕事なんてあるわけないじゃん。なに?マフィアの小間使いでもやるの?」
 優花がそう言うとトニーは黙ってしまった。しまったな。なにか話題を変えなきゃ。ふたりともそう思った。そして、先に口を開いたのはトニーだった。
「そういえばさ。優花のお母さん帰って来た?」
「…まだ。もう三日になる。」
「長いね。」
「二日帰って来ないことはあったんだけど…。」
 優花の、雪をも欺けそうな白い肌に映える、血の色した赤い唇が、ぼそぼそと動く。
「お父さんも帰って来なくなって一年になるし、お母さんに聞いてもなにも教えてくれなくて。」
「そうなんだ。」
「電気も一週間前から止まってて、テレビも見れないから、家にいても退屈。」
 トニーは湧きあがるやるせない気持ちを抑えて、努めて明るい口調でこう言った。
「今日、うち誰もいないから遊びにおいでよ。」
 優花は一瞬考えたが、家でいつ帰るかわからない母親を、暗い部屋で待つのよりはよっぽどいい提案だと思った。そして、そんなことを言ってくれる優しいトニーに、優花は笑顔で応えた。
 ふたりはおぼつかない足取りで廃墟を出て、トニーの家へと歩き出した。通りに出てしばらく行くと屋台が並んでいる。一見すると、どこにでもありそうな低所得者たちの集まる、活気ある市場だ。そんな街の、片隅に彼女たちは住んでいた。
「よう!トニー。また優花ちゃんとデートか?」
 果物店で店番をしている、すこし柄の悪そうな男が、声をかけてきた。
「あ、郭兄さん。そんなんじゃないよ。」
 男は、もってけ。と言うとすこし痛んだ梨をふたつ、トニーに投げ渡した。ありがとう。トニーは手を上げて応え、優花は軽く頭を下げた。
 その街は移民が多く、二世や三世も珍しくはなかった。しかし、そんな彼らは毎日食うために家業を手伝い、学校にも行けず、まるで国のプロジェクトからは疎外されているかのように暮らしていた。
 ふたりは無言で歩き続け、トニーが住んでいる、街はずれの木造アパートについた。二階建てで、階段をのぼると、踊り場で酒に酔った女が寝ていた。張のもとで娼婦(フッカー)をしている女だった。
「ラッキー。」
 トニーは寝ている女からこっそりとウィスキーをとった。まずいんじゃないの。優花が小声で言う。大丈夫だって。どうせ記憶なんてないから。ふたりはこっそりと階段をあがり、二階の隅にあるトニーの家へたどり着いた。
 家の中は片づいていた。というより物がなかった。トニーは電気をつけずに、居間まで歩いた。そのあとを、優花がつづく。トニーはテレビのスイッチをいれた。トニー家はテレビの明りで生活してるんだ。優花は彼の話題が豊富なのはそのためかと、内心、納得した。
 その夜。ふたりは盗んだウィスキーを飲み、市場の男が暮れた梨がまったくあわないことに苦笑しながら、テレビにいちゃもんをつけるなどして過ごした。そして、ひとつのほこりっぽい毛布に、ふたりでくるまって眠った。

第一話 完 第二話へ続く

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Asha Wakugami
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