『中学受験の報酬回路、ソシャゲとの親和性が高い説が話題』とあるが疑問しか湧いてこない。


先日、『凹凸チャンネル』に掲載された記事『中学受験の勉強のために開発された脳の回路、「ソシャゲ」との相性が良すぎる説』が気になり、元のtweetを読んでみた。

しかし、元tweetの内容に賛同できるところはなく疑問しか出てこなかった。その疑問を簡潔にまとめる。


疑問①
『中学受験時に勉強のために開発された脳の回路』とは?


 中学受験のための脳の回路というのは非常に特別な事なのだろうか。勉強と高校~大学受験のための勉強では作られる回路が違うのだろうか。

 私は中学受験を行ったことが無い。高校受験と大学受験を行ったことがあるため高校受験&大学受験の脳の回路はある程度出来ていると思っている。
(ツイ主は超高学歴の方なのでレベルは雲泥の差ではあるが・・・)

 高校受験と大学受験では勉強の内容が異なるため同じ脳の回路であるとは断言は出来ない。しかし、出来ないものを出来るようにする、覚えるために反復練習をこなす、といった基本的な考え方は一貫していた。 

 そのため中学受験のための脳の回路というのは想像が全く出来ない。むしろ中学受験の問題は一般的な高校受験や大学受験の問題よりも柔軟な発想力を試される問題が多いので、ソシャゲのような単純なシステムとは関連性が全くないように感じる。


疑問②ソシャゲっぽいシステムとは?

 疑問②にも触れたように中学受験のような問題を解くための思考回路とソシャゲのような単純なシステムになぜ親和性があると考えるのか。

 そもそもソシャゲが単純なシステムであると考えている自分の認識が間違っているのだろうか。ただボタンをポチポチと押しているだけの流れ作業をするだけのゲームという認識が間違っているのだろうか。

 確かに、スタミナと時間管理に頭を使った記憶がある。効率よくスタミナを消費するために最適な動き方を考えてやっていたのは事実ではある。

 勉強をする上で効率よく進めることは重要である。その考え方や思考回路が親和性があると考えているのだろうか。

疑問③勉強のための回路とソシャゲっぽいシステムの親和性の高さなんてあるのか?


 そのように考えると、確かに考え方や思考回路が似ていると思うところはある。

 しかし、それで親和性が高いと言えるのだろうか?効率よく進めるための回路は勉強に限った話ではない。運動をしていても、掃除をしていても、何をしていてもだ。

それをわざわざ中学受験の脳の回路と結びつけることへの違和感が頭に残り続ける。さらにソシャゲという簡単に結果が得られるものと、勉強という簡単に結果が得られないものを比べれている点にも違和感を感じる。

改めてツイ主の経歴を確認すると違和感の正体が少しわかった気がする。
ツイ主は『筑駒→文二』というとてつもないエリートである。
私のような偏差値50前後のような人間ではないのである。

私の勉強の分からないとツイ主の分からないは間違いなく異なるレベルだ。
だからソシャゲと勉強の回路を一緒にするような恐ろしい発想が出来るのだ。


まとめ


記事のタイトルが気になり読んでみた。
しかし、疑問が湧くばかりだった。
理解が出来ない事ばかりだからだ。

勉強で培った回路は脆弱なものであり、ゲームのような射幸心や高揚感を煽るシステムがその回路を上書きしてしまうだけの話ではないか。
改めて、そう感じる。

親和性が高いとは微塵も思わない。
中学受験をした方々にも是非意見をもらいたい。



30分くらいで書けた