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父親から明かされる、奇妙な砥上家のルーツ。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 5.砥上家⑤

 砥上遥希とがみはるきには家族がいなかった。
 もちろん生まれたからには両親はいたしおそらく兄もいた。
「おそらくって」
 自分の兄弟の有無について副詞を使うのは変じゃないかと砥上はちょっとだけ呆れた。

「記憶が曖昧なんだよ。いたような気がするが、確証がない。きっと幼い頃に別れたんだと思う」

 その幼い頃のある日、ひとりの男が訪ねてきた。台所の柱の影から玄関で対応する父親の背中を見ていた彼は母親に呼ばれ、買い物に行くと勝手口から連れ出された。だが、それ以降遥希が家に戻ることはなかった。

「母は連れ出した私をすぐ、別の男に預けた。私はその男と街を離れしばらく一緒にいたが、やがてまた別の家族に預けられた」

「養子とか、たらい回しってやつ?」

「違うな」息子の質問に頭を振る。「そういう暗いイメージじゃなく、みんな私を本当の息子のように扱ってくれた」おかげで寂しい思いをしたことはなかった。
「だがもしかしたら最初の、私が両親だと思っていた彼らもまた養父母のひとつだったのかもしれないね」

 それで兄弟の有無について「おそらく」がついたのだ。

「そんな感じで頻繁に転校を繰り返したよ」
 高校を卒業し最後の養父母と別れた後は新しい家族と会うこともなく、またかつて養ってくれた家族と再会することもなかった。
 頻繁に家族が変わる生活だったが、必ずみな口にすることがあった。それは一族のルーツについての話だ。

「私達は風を操る一族で、その力は唯一族長だけに現れると。この力は一族が生まれた時に原初の神から賜りし力で一族が逃げ続けるのは、祖先のせいだと聞かされてきた」

 そこで言葉を切る。赤く燃える薪の一点を見た。

「しかし私はそんな力は持っていない。覚えている限りでは私の父も」

 覚えている限りの古い父親ではなく、これまで自分に関わってくれた全ての夫婦・家族の父を指すために、「どの父も」と付け加えた。

 彼らはどこからきて、自分を手放した後どこに行ったのか。

「……の力についてですが」
「親父? 父さん聞いてる?」
 火の燃える様を見ていたらぼうっとしてしまった遥希を、砥上が引き戻した。

「すまない。ちょっと昔のことを思い出したんだ。力については何も聞いてない。ただその存在は何処に逃げても追いかけるといっていた。一族はその存在に見つからないように逃げ続け、力の発現の可能性のある男の子を逃がしているんだと。自分たちは捕まっても、力を受け継ぐ存在が在ればいいから、と」

 家のリビングとは似ても似つかない場所ではあるが砥上はふたりの様子に、また自分と秋山を含めたこの状況にひどく安心するものを感じていた。秘密を持っていたのは自分だけでなく、父もだった。いまこの小さく狭い山小屋は、互いに嘘も隠し事もなく心に負荷のない素の関係を曝け出せる貴重な空間になっていた。こんな状況でなかったら、「満ち足りた時間」と呼ぶに相応しい夜になったかもしれない。

「男の子だけですか。他の発現の条件とかは」
 ただ、そう感じているのは自分だけだとも砥上は認識していた。その証拠に遥希へとかけられた秋山の声は緊張感を含んでいた。

「それもわからない」遥希は頭を振った。「だから安心してたんだ。逍はもう成人だ。普通そういったものが顕現するのは子供時代と決まっているだろう。それにもしかしたら、男の子だけでなく女の子も、そういう子が他にもいるかもしれない」

 自分の息子と変わらぬ年の青年にこたえを求めているようだ。砥上の中の父親は決して威厳や強さを誇示するような人ではなかったが、こんな風に誰かに助けを求める人でもなかった。長年抱えていた秘密を打ち明けたことで彼の心の中に変化が生まれたのかもしれない。あるいは、知らぬうちに張り巡らせていた心の壁のようなものがとれたのだろうか。決して安心できる事態ではないにもかかわらず、父親もまたリラックスしたように見えた。

「確かに魔界人においてはそうですが、すんません。お話を伺った所、逍や遥希さんの一族は魔界人とは違う理りの中で生きているようで、俺にはなんとも。俺も彼を見つけた時は、自分の出自を知らされていないミックスの魔界人かと思ってました。でも、彼の力は魔力由来のものではないらしくて」

 砥上の力は魔力とは関係のないものだけでなく、彼が魔力そのものもも持っておらず、魔女に見てもらっても得体が知れなかったことを話した。もっとも魔女の件ははっきりと言われたわけではないが、秋山に砥上の所在を尋ねたシェザーも魔界人とは言わず「神炎使い」と呼んでいたのだ。

「あいつ俺のこと、そんな風に言ってたの」

 神炎かどうかは不明だが、「炎」に関しては魔女ヘレナの夢見の最中に現実化した炎を指しているのだろう。もっとも夢の通りに何もかも焼き尽くす炎なんて、神ではなく悪魔の炎に決まっているが。

「あなたと逍はどうやって出会ったの」

 母親のゆき子の問いに、砥上と秋山はちょっとだけ互いを見合った。 
「同僚としては知ってましたけど、彼の能力については2ヶ月前に初めて見ました」
「俺、少し前から変な夢を見るようになって」

 はじめて砥上は、ここ2ヶ月の間に自分の身に起きた出来事を家族に告げた。奇妙な夢を見るようになり、夢を見た日は必ず鳥になって空を飛んでいること。ある日飛行中に変身が解けて秋山に助けられたこと。そして、先ほどの魔女に夢を見てもらったこと。ただ今度はその先があった。

「まあそれでちょっと力が暴走したというか、覚えてるだろ、この間の古いゲームセンターの火事のこと。あの火事は俺の夢の炎から出た火事だったんだ。それでその後、秋山君が捕まって」

 そこで砥上の両親は揃って驚いた。ただでさえ飛行中に変身が解けてあわや地上に激突死するところを助けられたり、火事の現場からも助けられているのに挙句の果てに捕まるとは。一体この息子はどこまで迷惑を掛ければいいのだろう。

「いえ、捕まった件に関しては俺にも用があったみたいだし」

 半殺しにされて用があったもないんじゃないかと、砥上は聞いていて吹き出しそうになった。
「でもそれで、シェザーの件は解決したんじゃないの」
「いや、まだ続きがあるんだ。じゃなかったら、お前ん家(ち)が襲われるはずねぇだろ」

 この青年を捕らえた相手との事件がどう解決したのか遥希もゆき子も大いに興味があったが、反面詳細を聞くのが恐ろしいとも思った。もっともいまはそこを詳しく聞いている場合ではないが。事がひと段落したら聞いてみたいものだ。

「じゃあ今夜私たちの家が襲われた理由に心当たりがあるのかい」

 秋山の使ったジャンプ・ツールから出てきた時に確かに「敵に見つかる」と息子は口にした。その敵も、彼は知っているというのか。

「俺を捕まえて逍を誘き出した相手は、死にました」

 柔らかく笑う青年から出た人の死という台詞に、ゆき子は少なからずショックを受けた。赤ん坊のような息子を助けてくれた優しい彼のことだ、相手が誰であれその死に関わり苦痛でなかったはずがない。

「ただ人間界における魔界人の管理をする役職にある俺の友人によれば、俺たちがその場所を去った後に訪れた人物がいるらしいんです」

「魔界人の管理をする役職にある友人」という長ったらしい説明が指しているのが錐歌であることは明白だ。彼女はちゃんと、心配して秋山の様子を見に行ってくれたのだ。美しい赤毛の勝気な女性の姿を思い出し砥上はホッとした。

「その人物というのは」

 遥希は身を乗り出した。脳裏に、幼き日に家を訪ねてきた人物と話をする父の後姿が蘇る。

「ソウジャク、という名を聞いたことはありますか」

 錐歌の口から聞かされたこの名を聞いて、秋山はすぐに思い当たった。もちろんその人物を知っているわけではない。だが砥上が、ヘレナの夢見の最中に部屋から飛び出してきた彼が叫んでいた中にその名があった。「やめろ! やめてくれ左右雀・・・!」砥上はそう言って飛び出し、彼を追いかけるように火が店中に広まったのだ。

「左右雀」

 遥希と砥上、同時に声に出して呟いた。

「そう、そうだ、父は確かにあの男に向かってそう呼んでいた」
 何度も家族が変わる生活だったが、どの家族にも共通した事があった。それは「静けさ」だ。どの場面を思い返してもそこに生活音以外の音が入ってくることはなかった。まるで隣近所からも隠れるように会話も少なく、話し声は静かなものだった。最初に覚えている家でも、両親は息を潜めるように生活していた。もちろん感情として笑うこともあったが、それさえも大声ではなく微笑みだった。

 左右雀という名を聞いて、静寂だけだった記憶に音が加わった。普段は物静かだった父が、狭い玄関で男に向かって怒鳴り口調で話していた。後にも先にも父の大声を聞いたのはその一回だけで、最後の父の声だった。

「俺は夢だ」

 砥上は先ほど両親に聞かせた、突然見始めた夢の内容を話した。大剣を持った男に対して、最後に発した自分らしき人物が呼んだ名。それが左右雀だった。

「じゃあ、俺たちを追っているのは左右雀ってこと?」
「ああ。親父さんの一族を追っていた奴と同じだな」
「そんな、どうして今頃……上手く逃げられていたと思っていたのに」
 遥希の顔に絶望の色が広がるのがわかった。
「学校を卒業してからは、追われることはなかったんですか」
「さあ、わからない。養われている時も実際に追われていたのかどうか。ただ、行くところ全てにおいて止まる時間が短かったから、そういうものだと思っていたんだ。私はひとつ所に止まっていることはできないと」

「でも戸籍とかあるでしょ。市町の転入転出とか。追おうと思えば案外簡単じゃないのか」
 父の話が本当なら自分に親類縁者がいない所以も合点がいったが、流石に生きている人間をいないもののように装うのは無理なんじゃないかと砥上は半信半疑の様子だ。

「お前が生まれる少し前まではまだ紙の戸籍や記録が主流だったんだ。この国は地震や台風による天災が多いだろ、そういう場所に災害救助に行き、そのまま居着くことが多かったんだ」
 もちろん、その度に姓や生年月日などの個人情報は変えてきた。そうした手法も育ててくれた大人たちが教えてくれた。

「火事場泥棒っていうんだぜ、それ」
「実際、母さんともそんな感じで知り合ったんだよ」
「先ほど、砥上姓はゆき子さん側のものだと仰いましたね。結婚後にゆき子さんのご実家との付き合いは」

 砥上の指摘通り、いくら火事場泥棒的な方法で地域にうまく入り込んだとしても、人の目というものがある。こっそり生きていても生活は隠せないし、逆にまったく見えないと悪目立ちしてしまう。常に人の中に隠れるということは、常に人と接しているということだ。出会った人間全てに印象に残らなくても、最低限の相手には残ってしまう。

「私たちは風の一族だ。でもただ風を操るだけじゃない。風はひと所にとどまらないだろう? 常に流れ、見えない。私たちは、記憶に残らない一族なんだよ」

 どういうことなのか、聞き返さなくても大方の予想がつく。

「私たちが目の前からいなくなると、それまで親しいと思っていた人々はみな、私たちを忘れてしまう」
 遥希の声は悲しみに満ちていた。砥上に親戚関係がいないだけでなく縁者さえもいない理由が、これではっきりした。

「ゆき子の家の人間は誰も彼女を探そうとしない。なぜなら、ゆき子という人間は彼らの前から消えた瞬間から存在しない存在となっているのだから」

 遥希という名以外、全て捨ててきた。最後は自分の妻に実家まで捨てさせたのだ。彼女は横で楽しそうに笑っているが、彼女の両親にしてみたら裏切り者と罵られても当然の所業だ。もちろん覚えていないのだからそんな台詞を聞くこともないのだが、つまりそれは透明人間と同じなのだ。悲しみよりも責め苦に等しい。

「ひでぇな」

 思わず漏らした息子のひと言に、ゆき子の肩がビクンと揺れた。いつの間にかもたれかかる妻の背中に手を回し、遥希は強く自分に抱き寄せた。そう言われて当然だ。これまで彼女が口にしてこなかった気持ちを息子が代弁してくれたのだ。そしてその息子には、誰にでもいるはずの祖父母もいない。

「あの家だってな最初は借家契約で、いるのは逍遙が歩けるようになるまでの2、3年の予定だったんだ」

 それが気づけば23年だ。これまでの生活からすると、信じられないほど長すぎだ。それに養父母のように静かに暮らしていたわけでもない。逆によくぞ追手に気づかれないで生活できたといえる。

「どこかで、もう誰も追ってこないと思い込んでいたのかもしれない」

 だからこそこんなにも長い「普通の家族」のような生活を続けられたのだが、おかげですっかり警戒心を無くしてしまった。

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