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命をかけて友の魂を託す。それがなぜ自分なのか。生きていたら彼女は話してくれるだろうか。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 4、金の鉤爪、銀の斧⑦

共に戦ってきた仲間に裏切られた形となった魔界人たちが怒ったのはいうまでもない。魔界人の軍隊は瀕死のエルザスを連れてフランスより去った。これにより大量の魔女を抱えるイングランドとの戦力の差が大きく開いたのはいうまでもない。対魔女戦力を失ったフランス軍は人間の誇りをかけ善戦したものの、次第にジャンヌの指揮も精彩を欠くようになる。ついにコンピニエーニュ包囲戦で撤退の最中にイングランドに退路を塞がれ、ジャンヌは捕虜となる。その後のジャンヌの辿った運命は世に知られている通りである。

「仲間と共に魔界に帰還したエルザスはその後目覚めることなく、この世を去った。エルザスは命を落としたが、帰還した多くの魔界人が愚かな人間の戦いから救われたとして、魔界は彼女を聖人と位置付けた」

 そこまで一気に話した時、部屋のドアチャイムが鳴った。

 頼んだピザが届いたのだ。

「ただ、その後については習わなかったな」
 応対するために秋山は席を立つ。


 銀の甲冑に重ねて見た少女がその本人だったのだろうか。
 秋山が戻ってくるまでの間、砥上はぼんやりとそんなことを考えてみる。

 戦争も聖人も遠い昔で遠い場所の話でどうにもピンと来ない。内戦や細かい戦いの歴史ならこの国でもあるが、いつだって最終的には中央政府が皇帝の名の下に収めてきた。

「お前はノンアルコールだな」

 そういって秋山がピザと缶ビールを持って戻ってきた。
「シェザーについて調べた時はどうせ金で買った魔名だと思ったが、気づかなかったぜ」
 秋山は腰を降ろしながら、シェザーの魔名・エルザスについて「奴を主人と認めなかったのも通りだな」と話を締め括る。

「魔名って名前だろ」

 車の中で少しだけ聞いたことを思い出した。魔名はその呼び名の通り、魔力ある名前だと彼はいった。いくら強い呪詛的な効果がある名前とはいえ、実体化するなどということがあるのだろうか。

「魔名はな、強い力でもってあの世に行った魂を引き戻し、生きている人間の魂に結びつけてこの世に存在させるんだ」

 つまり魔名は魂そのものであり、実体化は魂の持つ形が物質化することだ。

「魂は他の魂や強い魔力を得ることにより物質化する。そして力はいつだって強い方が勝つ」
 後は言わずもがなといいたげに彼は缶ビールを開け、喉に流し込んだ。

「あの世に行った魂って、帰ってくるんだね」
 熱々のピザを切り、砥上も齧り付いく。

「いっただろ、引き戻すって。それこそ禁断の魔法だ。いまは禁止されてる」 故に魔名を持つ者は少なく、使われている魔名も正式には公にはされていない。「アイリスはどうして”エルザス”を助けようとしたのかな」

 シェザーが砥上を連れてくるよう使いに出したのはアイリスだ。けれど彼女は自ら命を断ち、砥上だけを秋山を助けに寄越した。砥上がシェザーと会うことで”エルザス”が助かるのなら、彼女は自ら死を選ぶ必要はなかったなずだ。

 仮に彼女が戻ることで何が起きたというのか。

 相方が突然黙り込んだが、砥上は深く考えずに食べかけのピザを手に取った。 帰国子女で魔界で育った秋山は色々知っているから、何か思うところもあるのだろう。
「そうだ、百合だ」
 やがて指でも鳴らしそうな勢いで秋山が声を上げた。「うん?」と相変わらず何も考えずピザを頬張る砥上に繰り返す。

「百合の守護者だよ」

「らから”エルザス”だろ。ヒャンぬ・ダルふの友達の」
「ああそうだ。百合はキリスト教で乙女の象徴でもある」

 急いでウェットティッシュで手についたピザの油を落とした秋山は、ロールスクリーンを下ろしパソコンに手を伸ばした。立ち上げてプロジェクターに繋ぐと、ロールスクリーンは巨大なモニターと化す。

「これはジャンヌ・ダルクの紋章だ」

 最初に表示されたのは、中心に王冠を掲げた剣とその左右に菖蒲の花に似た模様がある紋章だ。

「騎士の証である剣にフランス王の象徴でもある王冠、そして両脇にあしらわれた百合」秋山の言葉と連動して、ポインタが紋章の中を蜂のように忙しく動き回る。

「もしかして百合がエルザスっていいたいの」

 親指を立てて秋山がニッカリと笑う。
「俺の話し覚えてるか? ジャンヌ・ダルクには、二人の魔界人の少女の騎士がいた。一人がエルザスだ」

 片方のユリのまわりをポインタが回る。

「もう一人は?」

「待ってろ」と秋山はパソコンのキーを叩く。普段会社での彼は複数の刃物を使い精密な部品を製作するパートを受け持っている。操作するのは2m以上ある巨大なマシンで、高いプログラミングが要求される。仕事場で見かけるのは主にそのマシンの周辺だが、いないときは大概専用室でプログラミングをしているのだろう。マウスを操って設計することが多い砥上には真似できないほど早く、正確なタイピングだ。

「出てきたぞ」

 ロールスクリーンに目を移したとき、砥上はパソコンの液晶裏が光っていることに気がついた。

「これな。バグパッチだ」

 砥上の視線に気づいた秋山が液晶を倒し、光るシールを見せた。
「魔界のネットワークに接続するときに変なモン拾わないようにつけてんだよ」 同じものがスマホとタブレットにもついていたのを思い出す。魔法陣をハッキングされたのは、あの部屋でタブレットの電源を入れたからに違いない。

「大丈夫なの」

「おう。こっちは強化してあるし、コミュニティーのネットワークよりは安全だ」
 魔界という響きから勝手に中世のヨーロッパ的な世界を想像していたが、意外とハイテクのようだ。

 ページは日本語に翻訳され、検索スペース下の見出しの中から秋山は電子百科事典を開いた。

 まず最初に出てきたのはエルザスの名だ。秋山が説明したように、ジャンヌ・ダルクに胸を刺された彼女は魔界で死亡が確認され聖人となったとあるが、その後については書かれていない。

「魔名として魂を引き戻すのは禁止されている」
 秋山が繰り返した。
「だが、どこかの時点で誰かが彼女の魂を引き戻したんだろうな」

 記事に添えられた写真の姿は、銀色の甲冑を見たときに砥上の目に映った少女そのものだった。次に、エルザスの遺体を連れて魔界に戻ってきた少女の名があった。彼女の名はアイリス・ラ・メイユ。魔女でありエルザスの親友とされた少女の姿は、アイリスに瓜二つだった。

 すぐ隣で、砥上が息を飲むのが感じられた。

 アイリスはシェザーに真名を知られていいなりになったんじゃなく。シェザーの魔名がエルザスだと知っていたから、助けられる誰かを待っていたのだ。

「お前の時間が戻ったっつう話が本当なら、死と引き換えに時間を動かす事くらいできるはずだぜ。生きていたら700歳を超えてる大魔女だ」

 だがその人生の大半が苦しみに満ちていたであろうことは、最後を見れば想像にかたくない。

 人間共の醜い嫉妬で親友が命を失い、さらにその魂さえも下衆な商人の魂に結びつけられたのだ。

「アイリスって、本名だったんだ」

 紋章の中のユリの形がアヤメ属の菖蒲(アイリス)に似ているのは偶然だろうかと、柄にもなく砥上は思った。

「よくある名だ。でもだからこそ、彼女は名乗り続けた」

「その後、エルザスを連れてきてからのアイリスについては何かないの、伝承とか」

「ないな」再びパソコンのキーを叩く。魔界の聖人エルザスについては知られているが、アイリスについては初めて聞いたほどだ。しかし百科事典の記事以上の情報に関しては出てきそうもない。

「おそらくどこかの段階で知らぬ間に”エルザス”は魔名になり、それを知ったアイリスが捜し続けていたのかも知れねぇな。もしどこかの王家のお抱え魔女になってるはずならもっと捜しやすかったんじゃねぇのか」

 怒っているようにも、呆れているようにも聞こえる。

 エルザスの魂を手取り早く探すなら、大商人よりも王家に召し抱えられた方が何かと便利だろうが、彼女は権力を選ばず一人で探し続けたのではないだろうか。

「いや、権力に翻弄されるのは、もうウンザリだったのかも知れねぇな」

 秋山の推測に「でも本当に大魔女なら死ぬ以外にも方法があったんじゃないかな」と砥上。
「時々お前のその考えなしの冷めた顔をぶん殴りたくなるわ」
「やめてよ、暴力反対なんだから」
 くそ、無気力な抵抗しやがって。

「魔法は万能じゃねぇんだよ。魔法の使い手によって術式も変われば使い方も変わる。それこそ千差万別だ」
 砥上は魔法を知らない。だから物語の中の魔法使いがするように、杖の一振りで何でもできると思っているのだ。

「大魔女だから何でも出来るモンでもねぇし、真名を掴まれてたんだ。それに最悪、のこのこ戻ったら今度は俺の魔名を自分に付けろってシェザーにいわれたかもな」
 真名は知れたが最後、真名を知っている相手の要求は飲めないとの秋山の言葉を砥上は思い出した。
「秋山君の魔名をシェザーに付けたなら、”エルザス”はどうなるんだ」

 オリヴィエッタが力のある最上位の魔名なら、聞かなくたって想像がつく。だが自分は魔法や魔名に関しては無知だ。自分の考えていることが間違っていればいいと、砥上は誰にもなく祈った。

「オリヴィエッタに喰われるな」
 だから、アイリスは死ぬしかなったのか。
 自分が戻ったら親友を殺す手助けをするとわかっていたから。

「そう、なんだ」

 ソファでの飲み食いは慣れてないからと床に胡座をかいていた砥上は、手にしていた皿を膝の上に置いて、しばらく動きを止めたプロジェクターを眺めていた。

 おそらく自分で考えていた答えともらった答えが同じことにショックを受けているのではないだろうか。長々とソファに足を投げ出して座る秋山は、そこから砥上を見下ろした。横顔に疲れは見えるものの、胸中は読み取れない。

 砥上がひとり惚けてるのを他所に、秋山はノートパソコンで飽きもせず魔界の情報を見ていた。だがこれといって目新しいものはない。シェザーやその魔女が死んだこともまだ誰にも知られていないようだ。もっともあのコミュニティーが事件の後も別の場所で活動していたとも聞いていない。鵺の件もあったせいで、この地域の魔界人の動きが低くなっているのだろう。

 やがて、思い出したように砥上は口を開いた。

「いまになってさ、ちょっとショックが出てきたっていうか」

 もちろん、アイリスの死に対しての動揺だ。考えてみれば両親以外肉親がいない自分が間近で人の死に触れたのは初めてではないか。例えそれが小さな猫が本性の魔女だとしても。その間際まで確かに自分の隣に座り、話しかけてきていたのだ。

「そうだな。昨日からこっち、お前にはちぃとばかし刺激があることばっかだったな」

 返す秋山の口調は、どこかついでのようだ。パソコンで、重要な情報でも見つかったのだろうか。

 皿をテーブルに返し、砥上は立ち上がった。

「俺帰るよ」
 ノンアルコールビールもピザもまだ残っているが、もう腹は満たされていた。「ああ。その方がいいと思うぜ」

 ノートパソコンを置いて、秋山も見送りに玄関まで歩いてきた。
「気をつけろよ。居眠り運転とかすんなよ」

 もしかしたらシェザーの背後に別の何かがいて、そいつが砥上を狙っているかも知れない。そんな憶測は黙っていた。確証はないし、第一脅かしてどうするんだ。話したところで、砥上には脅威に対する備えも対処もできないのだ。

「わかってるよ。ご馳走さん」
 腹が膨れたからだろうか、そういわれて少し眠気が出てきたような気がする。

 閉まりゆく扉の向こうに立つ秋山の姿が細くなり、やがて見えなくなった。

 夏が近づく蒸し暑い古いアパートの庭を横切り、砥上は愛車に乗り込んだ。

 本当に、彼女を助けることはできなかったのだろか。

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