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消耗し、混乱する秋山の前に立つのは、主人を亡くした狂戦士”エルザス”

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 3、異端の名⑤

「ああ、クソッタレめが」

 魔界人を殺した。それも大商人の息子を。この代償は大きい。もし自分だけでなく砥上もシェザーの死に関係したと知られたら、彼にまで魔界からの追っ手が行くのは確実だろう。

 だからやめればよかったんだ!

 奴は何と言っていた? あいつには別に使いを向かわせたと言ってなかったか?

 アイリスだ。黒髪で少し華奢で小柄な魔法使い。

 だが本当に来るのか? 
 いや、奴がここに戻ってくると断言していたのだから、何が何でもいうことを訊かせるよう仕向けているに違いない。ヘレナのように昔から家に忠誠を誓っていたわけでなくても、意のままに操れるほどの力=権力を使って。

 だが、そのシェザーは死んでしまった。この場合はどうなるのだろうか。
 アイリスがシェザーの死を知る前に砥上に辿り着いていたのかどうかが鍵になるだろう。
 ここに連れてこられてどのくらいの時間が経つのだろうか。砥上あいつの顔しか知らないとして、どのくらいの時間があればアイリスは見つけられるのか。

 砥上が来るにしても来ないにしても、秋山にとっては残された体力で戦うしかない。

 消耗し混乱する秋山の背後の暗闇から、金属同士が擦れ合う不気味な音がした。
 ぞくりとした瞬間に転がると、その脇を掠めて銀色の影が床にめり込む。 

「“エルザス”」
 力の加減が、シェザーが操っていた先ほどとは別物だ。

 名主マスターがいる魔名はふつう持ち主が死ぬと不可動状態となるものだが、やはり”エルザス”自体は結び付けられたシェザーを名主マスターとは認めていなかったようだ。自分と結びつけられた名主マスターが死に、寄る辺を失った魔名がどうなるかは知らない。だが行き着く先のひとつがこの状態だとしたら、狂戦士なんて最高じゃないか。

 すぐに起きて先ほど落としたシェザーの杖を手にした秋山は、自分の身を守るように前へと出した。

 最初の一撃で仕留め損ねたと知った銀色の鎧は武器を引き、腰元で両手で構える。

 シェザーの魔名はポンコツなんかじゃない。奴の魂が“エルザス”という魔名よりも下の存在だっただけだ。その証拠に、今の彼女には一分の隙もない。

 “エルザス”が女の魔名だからといって慈悲深いとは限らない。手にしたハルバードは鉤部に繊細な紋様があり、祭儀用のようだがなまくらでないことは実証済みで、実際に秋山を葬り去ろうとしている。名主マスターもいなくなり己を縛るものが無くなった彼女は、その容姿の通り戦うだけの亡霊と化したのだ。

 互いが動きを止めたのはわずかな間だった。

 “エルザス”が滑るような足捌きで間合いを詰めて来た。美しき武器ハルバードを突き出し、払い、回転させる。そのまま石突を床に立て反動を乗せたニーキックが秋山を吹っ飛ばす。

 息が止まり床を転がる秋山の口中に血の味が広がった。鳩尾からくるのか、口の中を切っただけなのかどうでもいい疑問が頭を過ぎる。

 痛いよりも苦しく、息ができない。

 どうにか体を起こしたその視界の隅に凶悪な煌めきがちらつく。咄嗟に避けた場所に戦斧が打ち下ろされ安堵したのも束の間、左肩に激痛が走り体が宙に放り出された。

 槍部が左肩にめり込んだのだ。

 「の野郎!」

 バランスを取ろうと背中の蝙蝠状の翼を広げて飛び立った途端、今度は攻性魔法陣が作動して身体中に電撃に似た衝撃が走り再び床に落ちる。

 くっそが!

 容赦無く降ろされるハルバードの柄を杖で受け流し、床で体を滑らせて脛当てを思い切り蹴り付ける。”エルザス”が単なる亡霊で良かったところは、人の重さが無いだけ重量が軽いことだ。蹴られた脛当てが外れ大きく体が傾く。それにシェザーが使っていた杖は思いの外役に立つ。魔界産の硬い木に守られたこの銀の細剣レイピアは細身故に流石に”エルザス”を貫くことはできないが、こうして攻撃を払うことができる。

 ”エルザス”が片膝を付いた隙を逃さず、シェザーの杖でハルバードを持つ腕に杖を振り下ろす。だがその前に出された反対側の腕の籠手の部分から細い銀盤が展開し盾へと変わった。

 ”エルザス”の鎧が輝き外れた脚が元に戻る。シェザーが死んだのだから彼からの魔力の供給は途絶えたはず。いや、直接接種したのか。

 視界の外れに壊れたアンプルの破片を認めた秋山は舌打ちした。死の間際にシェザーの手から転がっていったあのアンプルだ。

 無防備な秋山の体めがけ突き出されるハルバードをすんでのところでひらりと交わし柄を右手で掴む。まだ、シェザーの血の効力があるうちに決着をつけたかった。

 力づくで後ろに引き体を捻ると、羽を使わず勢いだけでひらりと体を浮かせて素早く脚を甲冑の首に絡め、兜をもぎ取った。その機構がどうなっているのかは不明だが、頭を無くした甲冑が盛大な音を立てて転がる。

 手に残ったハルバードを秋山は構えた。槍も含め棒術の経験はないが、何も無いよりはいい。

 そして床を転がり再び人形としての形を成そうとする”エルザス”の胴体目掛けて高い位置から戦斧を振り下ろす。もし魔名としての急所があるのならそこだと思ったのだ。

 シェザーと衝突した時のような火花を咲かせ、ビリビリとした衝撃が腕を伝い全身に流れた。

 百合の花柄を使用した守護の魔法陣がガッチリと槍を受け止める。

「自動展開の障壁魔法か」
 シェザーの魔名が”エルザス”である以上、魔法の威力が有効であることに気づきべきだった。死してなお力を持ち続けるヘレナの魔法陣は秋山の魔法を抑えるのに有効であって、味方である”エルザス”への魔法には制約がかかってないのだ。

 そう認識する一瞬の間が、隙を生む。

 まだ完全に結合していないにも関わらず、床上を滑るように飛んできた”エルザス”の銀腕が三度秋山を吹っ飛ばした。

 体が、魔法陣の障壁に激突し激しい火花が散る。

 床に落下した秋山の霞む視界の中で、ステンドグラスの鮮やかな光を受けたエルザスが歩いてきた。

 万事急すかよ、ちくしょうめ。

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