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日常に影を落とす不気味な事件。平凡な家庭の両親は、息子に起きている異変を知らない。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第一章 鵺の夜②

「あらやだ」
 廊下に出ると、起きたばかりの母親とかち合った。

「シャワーなんか浴びたの、乾かないのに」
 予想どうりの反応をし顔を顰める。
「寝汗がすごかったんだよ」
「こんな時期にか」

 背後から父親の声がした。6月に入ったばかりのこの時期は、梅雨入りしたとはいえまだそれほど気温は高くない。むしろ春から続く天候不順のせいで寒いくらいだ。

「寝汗に時期なんて関係ないだろ」
 狭い廊下で3人もの大人がひしめき合っていても拉致があかないというふうに、彼は答えながら父親に道をあける。
 「しかし、あまり酷いようなら病院に行けよ。近頃は怪しい病気が流行っているようだからな」

 ーー怪しいって何だよ。

 いつになく絡んでくる父親の言葉など無視し、ダイニングテーブルについた。

 平凡な家庭の両親は、息子の身体に起きている異変を知らない。
「最近夢を見るたびに鳥に近づいていくんだ」なんて言えるわけがないし、いう気もない。
 きっと言われた方も困るだろう。
 もういちいち親に泣きつくような年齢でもないし、ふたりを心配させるだけだ。

 カーテンの開けられた窓の外からの雨音に、ニュースを伝えるテレビの音が絡まる。
 家を出る頃には止んでいるといいのだが。

「まただわ、いやねぇ」

 暖かいお茶を淹れてくれた母親の呟きにふとテレビを見る。その中では、小雨の降る中で大勢の警察官が道路を忙しなく行ったり来たりしていた。
「鵺なんて、想像上の動物でしょ」

 もううんざりと言いたげにキッチンに戻っていく母親を、嘆息まじりのぼやきが追いかけていく。「まったく、早く正体を突きとめてほしいわ」

 彼女の口にした『鵺』とは、2ヶ月ほど前からこの国を騒がしている幻の動物の名だ。猿の頭、狸の胴体、虎の手足に蛇の尾を持つという合体動物キメラは、古くは平安時代から目撃されているという。

 その名がネットやメディアに上がるようになった頃、この国では全国で不可解な惨殺死体が発見され始めた。どれも年齢も性別もバラバラで、被害者が旅行で訪れている外国籍の人間だったこともある。

 最初は週に1、2度の頻度で発見されていた惨殺死体も次第に発見される間隔が狭まり、今ではほぼ毎日どこかで発見されている。しかも死体は一夜一体ではなく、時には複数人が複数の場所で見つかることもある。さらにこの殺人事件が注目されるのには訳があった。

 それは発見された死体の状態が異常すぎることだった。

 死体は一つとして人間的な死に方をしていない。
 ある時は体の肉のほとんどが剥ぎ取られ、骨と筋と血管、眼球と頭髪だけが残っていた。
 またある時は背中に開けられた穴から髄液を抜き取られていた。
 解剖の結果、被害者は生きたまま髄液を吸われたと思われた。
 これらの死体が発見された現場の近くでは、必ずと言っていいほど事件の夜に不気味な鳴き声が聴かれていた。

 当初、まだ発見される死体が少ない頃はその異常性からカルト教団やサイコパスなどの精神に異常をきたした人間の仕業とされていた。しかしある監視カメラが映し出した姿が出回ると、事件の前に聞こえるという不気味な声の鳴き声の話も合わさって、瞬く間に妖怪『鵺』の仕業だと広まった。

 昨夜の被害者の発見場所は市の南側にある比較的大きな公園だ。
 女性で全身の血液が抜かれていたという。

 市内と聞いて、彼の心がざわついた。

 事件が起こり始めた2ヶ月前というのもずっと気になっていたのに、よりにもよってこの市で起こるとは。

「逍、腕をどかしなさい」
 朝食を並べられないと母親から注意され、知らないうちに身を乗り出していたことに気づく。

 並べられた茶碗を手にしたものの、箸をもつ手が進まない。
 テレビの事件の報道のせいだろうか。

 いや、夢のせいだ。
 正確にはあの夜の後から見始めた夢。

「珍しく早く起きたのに、それじゃいつもと変わらないじゃない」
 今日の夢は、特に生々しかった。

「うるさいな」
 寝起きの嫌な感覚と母親の小言が混ざり合って爆発し、テーブルに勢いよく茶碗を叩きつけた。
「食いたくない時もあるんだよ」

逍瑤しょうよう、待なさい」
 踵を返しリビングを出ていく背は父親の呼ぶ声も受け付けない。
 そのまま部屋に上って荷物を取ると、無言で家を出て行った。

 夢を見始めた2ヶ月前。
 鵺の騒ぎが始まった2ヶ月前。
 このふたつに関係があるのだろうか。
 あるに決まっている。

 そうでなければ、何故自分の知っている女性が被害者として報道されているのだろうか。
 


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