ジャンヌダルクと”ユリの守護者”の関係とは
長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉
第1章 4、金の鉤爪、銀の斧⑥
ソファに座る前に秋山は床に落ちているトートバッグを拾い、目の前のテーブルに並べていく。
もっとも狭い洲国ながらも50ヵ所以上もの行政区画に分かれたこの国では、移動すればするほど人の記録は追い難くなる。だからこそ一族が同地域に集まりやすいし多い。そしてだからこそ、認められていないのにもの関わらず隙間から魔界人が入りやすいのだ。
電源が入っていないスマホにタブレット、ステンレスボトルと紙コップのセット。それと丸めたマントと吸血鬼のお面。
あの取り壊し予定の公営団地で見たものだ。
「なくなると困るからな。こいつらには自動で帰るよう魔法をかけてある」
相変わらず不思議そうな顔をしている砥上に説明し、そして自分が帰るときに魔法陣がハッキングされ拉致されたことも話した。
「魔名って、魔界の方の名前だけど、誰かに知られるとマズいみたいだね」
ステンレスボトルから注がれた残りのハーブティを口にした。まだ少し暖かい。気がつけば飯も水も口にしていない。飲んで水分の枯れかけた喉を潤すと、大きく腹が鳴った。水分を摂取したことで空きっ腹が動き出したのだ。
「ピザでも取るか」
タブレットの電源を入れ、ブックマークからすぐに注文する。
「本当はな」
前触れなく話に戻った。
「普通は持ってないし、俺が持っていることすら一部の奴しか知らねぇはずだ」「錐歌って人は」
「あいつは職業柄な。人間の警察だって、元犯罪者のデータは持ってるだろ」
彼女が保安官の役割を担う職業なら、確かにわかる。それにしても犯罪者と同列に扱うほどやばいモノなのか。だとしたら、彼がこれほど用心深く生きている意味もわかる。
「でもだからこそ、そのデータは外に漏れることはないはずだがな」
どこで知られたのか。
「あの人とは長いの? その、知り合ってというか」
聞き方が、恋人に対する女性のそれの様になってしまったことに気づき、砥上は少し口籠った。実際この国、いやこの近辺だけでもどれ程の人数の魔界人がいるのだろうか。
「あいつも子供の頃は魔界にいたんだ。中途半端な者同士、よく連んでた。けどあいつは見た目がまんま人間だろ。いじめられて、不憫に思った親が途中でこの国に来たんだよ。ここは魔界人が少ないからよ」
「じゃあ、ほとんどこの国の人間か」
とはいえ鮮やかな赤毛は黒髪黄色人種のこの国でもかなり目を引くが。
「ちなみに何のミックスなの」
「ゴブリン。ま、親父さんはその見た目でハリウッドで映画俳優をしてたらしい」
秋山が指を鳴らすと、テーブルの上に小さなホログラムの鏡像が出現した。向こうでは魔界人も認知されているしなるほど、格闘家と見紛うばかりの見事な筋肉といかつい顔は特殊メークなしでも十分ファンタジー映画に出られる。少しきつい感じがしたが、錐歌は人間の基準からしても美人に入る方だと思うので、父親似でないのは幸いだった。
「ちょっと寸詰まりな感じがするけど」
「だよなぁ」
一歩間違えれお間抜けモンスター役にもなれそうな姿に二人して笑った。
「でもじゃあ、なんでシェザーって奴は秋山君のそれを知った……」
砥上の言葉が途切れる。自分が駆けつけた時(というか落ちた時)、シェザーは死んでいた。首と胴体が離れたところに転がって、血溜まりができていた。
急に、あの時の血の匂いが鼻に蘇る。鳥の姿になると砥上の五感は研ぎ澄まされる。必死のあの状況下で人間でいたならば、おそらく血の匂いになど気にも留めなかっただろう。だが今は、鼻腔いっぱいに鉄分と塩っ気、それと海に似た香りが広がる。血の匂いなんて不快なはずなのに、口中に涎が溜まるのはなぜだろう。
「どこまで聞いてたんだ、それともどこから」
野性の猛禽類の聴覚は恐ろしく優れている。雪の下を歩くネズミの音を樹上から聞きつけ、一撃で仕留めるくらいに。同様に狗鷲となった砥上が建物の中の会話を近くの木の枝で聞いていてもおかしくはない。
「あんまりよく聞こえなかったんだけど」
急いで口の中に溜まった涎を飲み下すと、砥上は答えた。「俺を舐めるな、あたり?」
どうやら聞こえてはいたがあまり会話の内容まで理解できている訳ではなさそうだ。ところが砥上はすぐにまた口を開いた。
「シェザーを殺ったのって、やっぱり秋山君だよね」
「あいつは大商人の息子で、いなくなると色々と面倒だからやりたくなかったんだけどな。俺も死ぬわけにいかねぇからよ」
ホログラムを撫でるように手のひらを動かすと、いかついゴブリンの鏡像は掻き消す様に消えた。その仕草に動揺の影はない。
「人殺しといるのは嫌か」
砥上は自分を攻撃してきた”エルザス”さえも戦意を喪失したからといって助けようとした。それは彼の持つ優しさ、慈悲なのか、それともそれ以外の何かなのか。「俺が怖いのなら早く帰れ」
「怖くないよ」
ほとんど反射的といっていいほどの速さで返し、また繰り返す。
「秋山君は怖くない」
むしろ、怖いのは自分の方だと砥上は思った。秋山を助けられる力があるのはいい。だけど実際は自分では何一つコントロール出来ない。
自分のことが何もわかっていない、愚かな化け物の方は俺だ。
そしてこれ以上一緒にいたら、今度は怪我だけでは済まなくなるかもしれない。
自分のせいで誰かが傷つく。その可能性の方が怖かった。
「俺がコミュニティーを利用するのは」
ため息をついて、秋山は話を元に戻した。
要するにどちらも化け物なのだ。
「新鮮な情報が欲しいからだ。魔界の掲示板だけじゃあ時差があるからな」
そういってタブレットを手にする。
「けどこの国には公式なコミュニティーはない」
そこで重宝されるのがシェザーの様な商人が中心となって運営される非公式のコミュニティーだ。
「保安官がいるのに、非公式」
「魔界人の存在が非公式である限り、錐歌の組織も表立っては動けねぇ。この世の中で一番大きな力は魔法でも魔名でもない。さっきいった通り金だ」
つまり金を持っている大商人の前では魔界連合軍の一員だろうと保安官だろうと無力と同じというわけか。
「そしてコミュニティーの中で力を発揮するのは情報だ」
金と情報を使えば魔界人だろうと人間だろうと意のままに操れる。だから秋山は彼らの中で自分の名前をあかさなかったし、砥上にもあだ名をつけた。部屋の周りに侵入監視用の仕掛けを働かせているのもそのためだ。もし彼が魔眼と魔名を持っているのが知れたら、シェザーの様に付け狙う輩がきっと来る。
秋山の話はまだ続いた。
「俺の魔眼と魔名の情報はきっとあの婆さんがどこからか引き出してきたんだろな」
婆さんと聞いて砥上が思い当たるのは、いまのところ自分の本性について占ったシェザーお抱えの魔女くらいだ。
「俺を閉じ込めた結界を作ったのはあの魔女だ」
長いこと大商人の家に仕えてきた魔女だ。とっておきの魔法の一つや二つあってもおかしくはない。その最たるものが魔眼の持ち主を閉じ込める強固な魔法陣の構築だ。命を使い描いた陣もこんな平和な鳥人間に簡単に破られてしまうとは。彼女も草葉の影で泣いているに違いない。
「それと、ユリの守護者をシェザーの魔名にしたのも多分な」
「ユリのって、あの”エルザス”のこと? なんで二つ名なん」
「彼女は百年戦争でジャンヌ・ダルクの右腕と称された女の子だよ。錐歌が口にした呼び名で納得がいったぜ」
魔法を使うほどの魔力はなかったものの、魔界人の強靭な肉体で常にジャンヌの前に立ち、あらゆる刃から彼女を守った。
「外国って、そんな昔から魔界人とかいたの」
「この国じゃ他国の歴史は撫でるだけだからな。それに、ジャンヌ・ダルクの魔界人の戦友については人間界の歴史にも記されていない。この史実は魔界側の歴史だ」
「なんでさ。欧州は魔界を受け入れてるんだろ」
「勘違いするなよ。共存してるわけじゃねぇんだ。魔界から来る奴なんて訳ありに決まってる。人間界である限り、魔界人はいつだって間借り人だ。だから人口に対する%も微々たるもんだ」
ただ、存在を容認されているのといないのとではその差が大きいのはいうまでもない。
オルレアンの少女としてイングランドとの百年戦争でフランスを勝利に導いた誰もが知るジャンヌ・ダルクだが、荒くれ者の猛者の中でただ一人の女の子だったわけではない。彼女の周りには人間の戦友として少女と少年の幼馴染がいた。そして彼らと同じように魔界人でありながらフランスに住み、祖国の一員として戦った中でジャンヌを守った二人の少女がいた。
「その一人がユリの守護者と呼ばれるエルザス・エイス」
彼女の持っていた魔力は微々たるものだったが、守護力に特化していた。魔法による攻撃も物質的な攻撃も、あらゆる攻撃を跳ね返す彼女は文字通り無敵だった。当然ジャンヌ・ダルクからの信頼も厚かったはずだ。だが、どんな世界にも水を差す奴はいるもので、人間のジャンヌ・ダルクと魔界人の少女が仲良くするのを良しと思わない連中もいた。
「そん中にジャンヌ・ダルクの幼馴染の男もいた」
ジャンヌ・ダルクに恋心を持っていた男は魔界人を快く思っていない人間を使って、ジャンヌ・ダルクとエルザスを仲違いさせ、結果的にエルザスはジャンヌ・ダルクの手により心臓を貫かれた。
「無敵を誇ったエルザスの守護力が、ジャンヌ・ダルクにだけは効かなかったんだ」
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