10年ぶりの再会と6ヶ月
某月某日
10年ぶりに知人と会う。
といっても10年前もそれほど親しい間柄だったわけではなく、
むしろ触り方に困るような、ある種近寄りがたい存在だった。
なのに何故会うことになったのか。
多分それは「会うべき人」で、「話をするべき人」であったからだと思う。
根拠はと問われれば、科学的なものは何もない。
ただの直感というか霊感に近いもので、大概外れたことはない。
「外れはない」と書けばまた「当たり」「外れ」の根拠は、と問われてしまいそうだが、実際には人と会うことに「外れ」はないのだと思う。
問題は会った後にどう感じ、それをどう活かすか。
とはいえいつもそんな心構えを持って会いに行けるほど大人ではない。
とにかく気になるなら会ってみる。
会うことが最優先。
そこから何を感じ何を学ぶかは、自分次第なのである。
学ぶといっても「これだ!」とはっきりわかるものじゃないけれど、
他者と言葉を交わす。これだけで経験値が上がることは間違いない。
そして学びといえば最近、リスキリングという言葉が流行っている。
いわゆる学び直しというやつだ。
リスキリングとひとことでいっても、「業務で使うスキルを増やす」から、
「転職に有利なスキルを磨く」まで種類や動機は様々。
かくいう私も学び直しからその先に行くために、6ヶ月ほど「修行」ともいえるカリキュラムをこなし、指導を受けてきた。
このプログラムを受けようと決める時、食事が喉を通らないほど悩んだ。
きっかけはこれからの10年を考えた時。
結論は、今の職場には居たくない。だった。
10年後、自分はどこに居たいのか。というか、すぐにでも居たい場所を考えた時、いくつかの資格取得や現場でのスキルアップが頭をよぎった。
その中で絞り込んだ候補がふたつあり、最終的に「飽きない」方を選んだ。
カリキュラムを終えた今、残念ながら始めるにあたって決めた目標には半分しか到達していない。よって実際には「修行」はまだ道半ばといえるだろう。しかしどうせその道で食っていくには常に情報を更新して行かなくてはならないし、それは仕事でも日常でも同じこと。と考えると「修行」でもなんでもない。
これまで通りのことをやるだけなのだ。
事実、課題が無くなったことを良いことに私は飽きずに新しい目標を立て、進み始めている。
そして実は、今回のリスキリングはかつて目指した場所と同じところを目指している。いわば延長でもあるのだが、その時に出会ったのが10年ぶりに会った知人だった。
だから会うのは、ある意味10年前に私の行く末を最後まで心配していた彼女への報告も兼ねていたといってもいい。
10年間会わなかったのは、どこかで中途半端な自分を見せたくないと思っていたのかもしれない。とはいえ今もまだ学びの途中で目指している場所まで道半ばという面では中途半端かもしれないが、今が彼女と会うべきタイミングだったと思えてならない。
そして実際に会ったとき、明らかに10年前の自分とは違うという実感が感じられた。
前向きで、いまとこれからの自分に対しての宣言とも取れる報告が出来たことは今回受けた「学び直し」のおかげだと断言してもいい。
「学び直し」と聞いてもピンとこない人もいるかもしれない。
学ぶべきテーマが思い浮かばないという人も中に入るだろう。
だが、学生を卒業し誰かから専門的なことについて「指導を受ける」という経験をする機会は社会人として歳を重ねるごとに失われていく。
いずれ後輩を導く立場になるであろう人ならば、海外旅行に行くよりも先に経験をしておくべきだと勧めたい。
ちなみに最終的に絞り込んだ候補の一つは「文章作成」に関するコースだった。
こんな趣味を持っていながらそちらを選ばなかったのは、仕事じゃなくても続けられるほど好きな事を職業にしたくなかったからだ。
カリキュラムの中に文章作成のコツでもあったならよかったのだけど、残念ながら含まれていなかったので、文章力は相変わらずw。
とはいえ、もし文章作成も「修行」の中に入っていたなら、こんな出鱈目な文章を書く楽しみも忘れてしまうかもしれないので、ある意味良かったのかな。
と思うことにしている。