番組)神呑み 高千穂神楽編
この冬は高千穂に神楽を観に行くことはできなかったので、残念に思っていたけれど、こんな企画があったとは。
後編のなかで、今年の様子が語られる部分は心に響いた。コロナ禍で例年通り開催できないものばかりのなかで、神楽のように、地域の中に根付いたものが従来通りできないというのは、その土地の人々の活力を奪ってしまう。
例えば、私の暮らす青島地区には「いもくんない」という行事がある。十五夜の夜(夕方)に、子供たちが地区内の家々をお菓子をもらいに練り歩く。誰かがお知らせしてくれるわけでもなく、自然に子供たちの間で引き継がれ、毎年その日になるとわらわらと子供たちがやって来る。
地元の人ならばともかく、移住者である私はこの風習を全く知らなかったので、初めての年は止まらないピンポンにかなり驚いた。ここで暮らして7年経った今では、仕事で留守をする時間もふえたので、不在の時には、大きな箱に溢れるくらいお菓子を入れて、「とっていいよ」という旨の張り紙をして玄関前に置いておくと、帰宅時にはすっからかんになっている。
その私たちの「いもくんない」も、コロナ禍においては自粛するように、という小学校からのお知らせを以て、静かな十五夜となった。地域には高齢者が多く、感染リスクを減らすための配慮として仕方のないことだった。楽しみに待っていたおじいちゃん、おばあちゃんもいただろう。私と同じように。
各地でみんなそれぞれの暮らしがある。お祭りや行事、地域の祝祭的なものができないなか、当事者として関わる人(内側の人)も、楽しみに待っている外側の人も、いつもと違う「その時間」を受け止めている。その思いが語られて必要な人に伝わることは、とても意味のあることだと「神呑み」を観ながら思った。ほんと、かみっちょったー。
※写真は、いつかの十五夜のお団子。