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例えば、「朽ちる」とか

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 このところ、やりたい事とやらないといけない事のバランスが取れていない。やりたい事がいっぱいあるので、極力諦めない努力をしている。すると、当然疲れる。今日も午前中、黙々作業をしていて、そろそろ気分転換が必要だ!と思い立ち、山へ。

 こういうとき、とても自分に合った環境に暮らしているなーと思う。海へは徒歩1分。車で15分も走れば、登山道の入り口がいくつかある。私は自然のそばでないと、生きていかれない。

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 頂上ではなく、途中の展望台を目指して登り始める。午前中登って下山してくる家族連れとすれ違う。小学校低学年くらいの兄妹が下りの足元が滑るので恐る恐る進む。先頭のお父さんが「足をしっかり上げて歩かないから、滑るんだよ。」と穏やかに語り掛け、一番後ろからお母さんが「そうだよ。大丈夫だよ。」と励ます。そうなんだ、私も知らなかった!

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 今日は天気が最高によくて、雲ひとつない青空。ありきたりだけど、私はちっぽけだなーと思う。

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 急勾配の下り道を遮るように大きな倒木があったので、支えにしようと両手をついた。

「かしゅっ」

擬音で言うとこんな感じなのだけど、両手がなにかの細胞を壊して、スポンジに似たような跳ね返りを感じた。あぁ、木が「朽ちる」ってこんなだなと立ち止まる。

 外に出て見たり触ったりしなければわからない感覚があって、天井の下と空の下では自分のスケール自体も変わってしまう。

 私は在宅ワーカーなので、リモートワークのメリットは十二分に実感しているのだけど、仕事でも教育でもリモートは効率化の要なだけであって、リモートオンリーで完結できることはおもしろくないと思っている。会議も塾も別にオンラインで事足りるよねーみたいな流れに乗りそうになったら、そもそものその中身について考えたい。特に子供は機械ではないので、プログラムをかくように知識と経験だけを詰め込めばよいというものではないけどなと、よく思う。触ってびっくりするものがある。昨日とは違う風が吹いている。そして、会いたい人、一緒にいて楽しい人がいる。外に出て、五感をフル活用する時間がきっと何より大切なはず。

 帰り道はしっかり足を上げて、地面を踏みしめながら下った。

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