革命(1)

呼吸が不意にできなくなった。世界の全てが止まってしまったかのようだった。無慈悲にも時計の一瞬を刻む音は止まない。今何時だったっけ、と不意に思う。全てがスローモーションのようで、なんでそんなことを考えてるんだろうとすら考える時間があった。13時だった。朝起きてご飯を食べて、今日は日曜日だからって先生に勧められたビジネス本を読んでたら眠くなった。何もできずに日曜日が終わってしまうなあなんて思いながら、あっち側とこっち側の狭間にゆらゆら浮かぶ。あの状態を眠っていると呼ぶのは些か腹が立つような気がした。ゆらゆらしていたら夢に引き込まれて、夢か現実かもわからないまま、呼吸が止まった。そうだ、今僕は呼吸ができていないんだった。急に時間が全部巻き戻されたかのように、一気にこっち側のはりが進んだ。ようやく死という言葉が空気に浮かんで、それを払おうと勢いよく四肢を伸ばす。息を吸えたと思った瞬間、今度は喉の奥が詰まった感覚に襲われる。いつものことだ。そう思おうとしたのに、その次に嗚咽まじりの息を吐いた時、同時に涙があふれた。苦しかったわけじゃない。ただ「なぜ僕はまだ生きているんだろう」と、白々しく息をする自分の躰に責任を転嫁して、なんの関係もないみたいに後悔を水に含ませているだけだ。

夢の中で僕は、”あのひと”の側にいた。多分あれは、3年前の公園での例の記憶と、どうでもいい大学祭での1シーンを切り取って合成でもしたものなんだろう。そんな高機能な仕組みが僕の脳にすら備わっているのなら、起きている時でも都合の良い合成をしてくれれば良いのに。学校の踊り場の階段で、周りの教室からはたこ焼きを売る声や劇の集客の騒ぎが聞こえる。やけに学校自体が子供っぽい造りなのは、そこが小学校、それも僕のではなくて一昨日のよるテレビで見た有名私立小学校の校舎であるからだろう。踊り場から少しだけ階段を降りて、逆に上ってくる彼女と空間が重なる。先に向きを揃えたのは彼女のほうだった。手を握ろうとして、僕はためらうのに、彼女は何の動揺もせずに僕の頰を抑える。夢の中だというのに、一種の暖かさすら感じて、僕はなんて世界は美しいんだろうと思った。あのひとが今ここにいるはずはない。奇妙なはずなのに、そんなことには気づかないほど、ただ全てが美しかった。不安定な階段の真ん中で、彼女はおおよそ”いつも通りに”顔を綻ばせた。もうずっと会ってもいないのに、今の君は絶対にそんな顔をしないのに。このまま彼女を抱きしめてしまえたら楽だと思った。でもそれは夢の中ですら許されなかった。チャイムの音が彼女を呼んでいる気がして、早く行きなよと言う。君は、遠い。そのことに気づいたのは、きっと多分遅すぎた。

夢から醒めても、まだ夢の中にいるみたいだった。自分が泣いてるのかさえ定かではなかった。顔に落ちる滴の感じで、ようやく泣いていることを自覚するくらいだった。どうして、今になって”あのひと”の夢を見たんだろう。5日前にたまたま新聞に名前が載っていたのを、見てしまったからだろうか。それよりも今付き合っているガールフレンドの美南が多分浮気をしていることに気づいたからかもしれない。美南は可愛いと思う。僕のことが好きだって言ったから、僕は彼女と付き合おうと思った。僕は人を好きにはなれない。でも、セックス・フレンドのような関係にも満足できなかった。僕は誰かを特別にはもうできないけど、他の誰かの特別でありたかった。これを言うと世の中の大半は本当の愛ってもんを知らないんだと言う。でも同じようなことを呟いていたツイッタラーは、少なくとも1000いいねくらいはもらっていたし、大体みんなそんなもんなんじゃないだろうか。妥協と妥協が重なって恋愛が生まれるし、たまにはそれが恋人同士で矛盾しあってうまくいかなくなったりする。美南は僕のことを特別だと思っていると、僕は思ってた。でもそんなのご多分にもれず、幻想に過ぎなかったってことなんだろう。静かに、静かに息をする。世界に何とか馴染めた気がして、僕はその辺にあったティッシュボックスを掴んでティッシュを取った。視界を取り戻したら、急に心に重い鉄の塊がぶら下がったみたいに、落ち着かなくなった。日曜日の午後独特の、暗い色に覆われていく感じ。今日はもう、何も手に付かない。”あのひと”が今頃、もし僕の側にいたら。きっとそれでも彼女は遠くて、理解しがたいんだろう。たとえば、小学生の頃父親の本棚から引っ張り出して読んだプラトンのエウテュプロンくらいには。とりあえず今日はもう考えるのはよそう。そう思って読みかけの小説を手に取った時に、電話が鳴った。

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