グレイトじぃちゃんのお話👨🏼🦳
おはようございます☀️
わーちょんです^_^
周りを見ていても、
子供は親の影響を強く受けると思います。
わちょは、田舎の酪農家の娘なので、のほほーんといじめの存在しない世界で、男女で分かれず、ゆーーーったりと生活しておりました🌳
超、超、ド田舎だったので、所謂、飛び抜けて優秀な人は私の周りには少なかったのですか、
わちょの家系で言うと、
ひいおじいちゃんが破天荒な人でした👨🏼🦳
今日は、グレイトじぃちゃんのお話を書こうかな💭
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太平洋戦争の時代ですね⚔️
わちょのひいおじいちゃんが若い頃、
パラオ共和国🇵🇼が日本の委任統治領(植民地)になりました。
パラオに日本人が移住する政策がありまして、
私のひいおじいちゃんもパラオに移住した1人でした。
「パラオはよかった。赤いハイビスカスが綺麗で。薄着で過ごせたんだよ」
私が小さい頃、ひいおじいちゃんが口癖のように何度も言っていました🌺
そこで、しばらくは安定した生活を送っていたらしいのですが、アメリカ軍が攻めてきて
戦争が始まりました。
これが、
ペリリュー島の戦いです。
アメリカ軍約49.000名、日本軍約10.500名
ひいおじいちゃんも日本軍の1人でした。
悲惨な記録が沢山ある中で、
日本軍は全滅
戦死10.695名 生存34名
ひいおじいちゃん奇跡的に生き残りましたね。
巡り合わせというか、ここでひいおじいちゃんが亡くなっていたら、私が存在しない訳で、不思議な気持ちになります💭
幼いころ、ひいおじいちゃんは戦争の話を一切しませんでした。それはきっと、生活を共にしていた友人など顔の知っている人達がほとんど戦争で亡くなって辛い思いをしたからだと思います。
では、なぜひいおじいちゃんは生き残ったのか?
ひいおじいちゃんは、医療の知識があったらしく、救護担当だったようです。💊
パラオって、小さな島が沢山集まってる国なのですが、怪我をした日本人を本島まで船で運んでいたようです。
途中で、運んでいた船が大砲で撃たれ、
沈んでしまいました。
ひいおじいちゃんは、死に物狂いで何キロもある本島まで泳いだようです。
ひいおじいちゃんは、あとになり、新聞で仲間が全滅したことを知りました。
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その後、パラオに住む日本人は、日本に引き上げました。
入植者達に、用意された土地は、食料もなんーーーもない緑生い茂るただの土地だけ。
当時、将来に不安を感じて親戚を頼って離れた人も多くいたそうです。
食料の配給も少なく、栄養失調や過労で亡くなる方が多くいました。
ひいおばあちゃんの兄弟など、私の身近にも栄養失調で亡くなってる方多いですね。
山菜を探して、飢えをしのいでいたようです
厳しい状況の中、畑で育てていた食料も大冷害に見舞われて、全てダメになってしまいました。
しかし、牧草だけが青々と茂っていました
そこから、全世帯が牛を飼い、
酪農が始まりました。
それで今に至ります。
そんなこともあって、私は酪農家の娘です🐮
なーーんで、私歴史にこんなに詳しいのかって??
昔から地元に関心が高くて、高校生の頃から地元の人にインタビューやら調べ学習やらして、たくさん研究発表していたんですよ^_^
先日も、大学で教授に授業時間貰って講義してきました。
なんていうか、こーー、
一般的じゃないことをしたいなぁという、私みたいなマインドを持って動いてる人ってなかなか少ない印象なのですが、
ひいおじいちゃんのこの苦労を乗り越えてきた話を聞くと、私の今の環境は当たり前じゃなくて、とても恵まれているなぁと。
戦争がない、健康でいられる、日本人であること、ご飯が食べれること、勉強ができること
時代や場所が変われば、どれも当たり前じゃないですもんね。
先人たちの繋いでくれた歴史を、
私も繋いでいきたいですね。
精一杯、生きましょう💪
2022/08/03
わかな