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太宰治について

六月十九日は、太宰治の生まれた日であり、愛人の山崎富栄と玉川上水に身投げした後、遺体が発見された日でもある。

太宰を偲んで、この日は「桜桃忌」と呼ばれている。お墓のある三鷹の禅林寺には、毎年多くの参拝者が訪れる。自分は三鷹に三年ほど住んでいた。

秋になると、太宰が身投げした玉川上水のそばに、彼岸花が咲くのを楽しみにしていた。太宰が愛した三鷹駅の跨線橋で、眠れないまま迎えた朝に朝焼けを見たり、深夜に動かない電車をぼんやりと眺めたりした。

太宰がいた街で、太宰が見ていた景色のなかにいると思うと、かつて文学少年だった自分にとっては感慨深いものがあった。

自分にとっての、太宰治や、泉鏡花や、林芙美子や、萩原朔太郎や、三島由紀夫らは、夢中になって作品を読み漁ったアイドルだった。中学や高校では授業には行かず、図書室で本ばかり読んでいた。みんなとっくの昔に死んだ作家である。

死んだひとを愛するのは簡単で、生きているひとを愛することは難しい。生きているひとは変わってしまう。裏切られるかもしれないし、拒絶されることもある。だから、数十年前に亡くなった作家ばかりが好きだった。作品は当時と変わらずに、色褪せずに残り続けていてくれる。

しかし、時代は常に変わっていくものだ。太宰がかつて身投げした玉川上水は、いまでは緩やかに流れており、とても自殺なんてできそうにない。太宰の行きつけだった小料理屋も、いまは別の建物になっている。三鷹駅の跨線橋は維持費の問題から、撤去が検討されている。

太宰はゴールデンバットという煙草を吸い、両切りの煙草を吸うということに誇りを持っていたらしい。

自分も、太宰が吸っていて、中原中也の詩のなかにあったゴールデンバットに憧れて、たまに口腔にはいってくる葉っぱと、重たいタールとニコチンに耐えながら吸っていた。そんな、ゴールデンバットも数年前に両切りではなくなり、その数年後には生産終了となった。

店頭から無くなってしまう前に、煙草屋でカートン買いしたゴールデンバットも、残りはひと箱になってしまった。桜桃忌の今日、最後のゴールデンバットも吸ってしまおうと思う。

最近になって思うのは、いつまでもとっくに死んでいるひとに励まされて生きるよりも、いまを悩んだり苦しんだり、もがきながら必死で生きるひとの言葉や、作品で救われる世界でありたいということだ。

これからも太宰をはじめ、夢中になった作家たちに、自分は生かされると思う。だけど、いまのひとの言葉に耳を傾けて、いまの言葉を吐いて、いまを生きていきたい。

誰かにとってのそういう作家に、今度は自分がなりたい。そんなことを考えながら、冷蔵庫で冷やした桜桃をするりとガラス皿に移した。

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