社会人大学に入学しました
昨日から、社会人大学という名の、就労支援授業所に通所することが決まりました。
1ヶ月、自分の特性を活かして、自分の未熟さや幼さと闘い、そして体の痛みと闘いながら、少しずつできることを増やしていこうかなと思ったのです。
家でできたことはほんの僅か。
自分の足の障がいについて、自分で認知するということです。なぜなら将来のことを考えた時、自分のことを自分で説明できなければならないからです。
足の障がいについて自分で知る義務があり、責任があると考えたからです。
そのことを理解していたので、先ずは自分の体を知るという点で足の障がいについて勉強しました。
自分で生まれた病院に20年以上前のカルテがあるか、その時生まれた状態、生まれてすぐの経過はどのようなものであったか、当時の医師の判断がどのようなものであったか。
ただ、私は足が悪いという事実しかぼんやりとしか解っていませんでした。
PVL(のうしつはくいはくしつなんかしょう)の左片麻痺ということ。
私は未熟児として生まれ出生後すぐに、息が上手くできず、脳が一部虚血状態となっているということをPVLという病気の文献やサイトを巡回しているうち、学ぶことができました。
そして感覚の過敏性。
特に突発的な音や、刺激のある匂い。
感覚過敏性を、薬で和らげていました。
併せて私にはフラッシュバックやトラウマという心の病気みたいなものがあります。
次いで物事に対する過集中。
私なら音楽を聴くこと。それをしていると寝食を忘れてしまいます。
それらに左右されず、しなければならないこと(より現実的で社会貢献的であるか否か、そこまでいかなくても自分の興味があり集中できること)をできるのかと思った点で、自身のできることを見つけようと思いました。
私は勉強するには静かな環境、刺激のより少ない環境が必要だと思ったのです。(自己判断ですが)
お家にいてると、やはり、集中することができません。
薬剤師国家試験に向けて勉学に励む双子の妹がいるからです。そして怖い父親がいるからです。
特に妹の邪魔をしたくなかった。
その場所を以前勤めていた先の休憩時間の時に市のホームページで自ら調べ見つけていました。
私は然るべき所に身を置くべきだと。
そう思いました。
私はもともとあまり集中できることがありませんでした。
娯楽にしろ勉強にしろ。
けど、考えるということが、好きでした。
空想が好きでした。
ぼんやりでも、真剣にでも。
じぶんのこころのこと。からだのことや、街の人に思いを馳せました。
動物、わんちゃんや猫ちゃんのことが好きだったので、動物がどうしたいのかをよく考えるようになりました。
人の痛みや悲しみを知りたいと思うようになりました。
そして病気で苦しむ人や、わからずに苦しんでいる人に少しでも(烏滸がましいかもしれない)何かを作るということが、私にできることじゃないのかなと。
ただ思いを、形にすることは本当に難しいです。
自分の好きなものを形にすることは自由だけど、
本気で表現をするということは、私が(媒体)にならなければいけないからです。
成熟した表現は自由ではないと思う。
改めて見てくれる人がいて成り立つ。
そこにどれだけの作品に対しての誠実さを注げるかを考えたかった。
どこに行っても自由はない。
エゴを捨てる。それを誰も教えてくれなかった。
表現するより先にすることがあるんじゃないかなと。
昨晩父と、国家資格の話をしていました。
その中から取れそうな資格、受けれそうな試験があれば受ける。
私はMOSと英検、日本語検定が受けれそうかなと。
少しずつ学んでいく、一気なんでもしようとするから苦しくなっていたんだなと。
私は私にできることをマイペースながらやる。
他の人の進度なんて気にしないよ。
壮ちゃんも言っていたさ。
人は人のやれるだけのことをやると。
落ち着いて気負いすぎることはないよ。と。
壮ちゃんはいつも優しかった。
壮ちゃんは、いつも私のことを知っている。
重苦しいものを抱えているの知っている。
何かを伝えたいって思いも全部わかってくれている。なんで壮ちゃん私のことわかるの?って言いたい。
だけど壮ちゃんも尾崎も社会には連れて行くことなんてできない。それをわかっているから、逆説的だけど壮平さんが好きだし尾崎が好き。
捻くれる感じがしてきた。スローガンにバカやろーって言いたくなってきたよ。
私も成熟の一途を辿っているのかもしれない。