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みえないものを信じている

みなさん、こんにちは、こんばんは。

あと出版編集Aの授業も残すところあと3回となりました。

今回は最終課題に向けて、自由制作01として「私の信じる世界をつくり、その状況をnoteに書く」という課題が出されました。

正直なところ、今回の課題は今までの課題よりもどういうふうに書いていったらいいかがわかりません。

でも、課題なので率直に、今の自分のまま、ありのままをさらけ出そうと思います。もしかしたらどこか文章がおかしいところがあるかもしれないし、間違っているところがあるかもしれません。

あるいは書いている途中で話があちこち飛ぶかもしれないです。

それも含めて、今の自分をさらけ出すことだと思っています。

なので、大目に見てください。よろしくお願いします。🙇‍♂️

「みえないもの」を見たい

私は数年前からずっと「みえないもの」を見たいという願望がありました。

みえないもの。自分でもそれが何なのかはよくわからないし、人に説明することができません。

「みえないもの」が、人の心なのか、はたまた動物の心なのか、物質として形を持たないものに対しての何かなのか、それはとにかくわからないけれど、「みえないもの」や「形のないもの」にすごく惹かれるんです。

惹かれるというより、むしろ、私が生きていて「常に求めている」とか「本能的に必要としている」という表現の方が合っているのかもしれません。

以前、私は課題の記事でこんなことを書いていました。

私も言葉を発さない対象と会話してみることを常に意識しています。例えば、動物、建物、植物、自然、絵画や音楽。これらの声が全て聞こえて、会話することができたら良いのになあと考えています。💭

唐突ですが、私は人と接することがとても苦手です。

人と接触することが怖くてたまらない。

人とすれ違うことすら怖くてたまらないです。

会話をするときも、ずっと不安や恐怖におそわれています。

そのためなのか、人とコミュニケーションをとることよりも人以外の何かに耳を傾けるということを好んできたのかもしれません。

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今回の記事のヘッダー画像にあげた絵は、私が描きました。

題名は「This is me」です。

(オンラインのことを記事にする課題で、言っていた絵です。まだ色は塗れていないのですが…。)

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この絵には糸のようなものをいくつか、手の動きにまかせて描いてみました。

このうねりある線や点線は「みえないもの」を表しています。

わたしの中でずっと、自由に動き回る見えない何かをどうにか可視化したかったんです。

そして、私が体の部位で感覚が過敏だと思うものを描きました。

まずは耳(聴覚)。次に手(触覚)。この二つが過敏だと思うのです。

目(視覚)も過敏だと思うのですが、触覚と聴覚ほどではないのでここではこの二つを挙げておきますね。😌

目について説明しておくと、「耳の中を監視している目」でもあり、「コロナ禍でマスクをしている人々の猫のような鋭い目(その目はからし色)」でもある。そんな二つのイメージを描きました。

雨、葉っぱ、惑星、海藻とかも描いていて楽しかったです。自然が好きなんだなということもこの絵を描いていて改めて自分の好きを見つけられたような気がします。

街を見ている

私は大学生になって、初めて通学で大阪方面の電車に乗ることになりました。

電車とバスでの通学はやっぱり窮屈でいつも苦しいです。

だけど、人の流れを見ることが怖くてたまらないはずなのに、なぜか見てしまうんです。人を見ること、視線の先に映る街全体を眺めることがどうしてか、辞められない。無意識的に人や街に注目してしまう。その度に疲弊するのに。

画像2

この写真は去年の冬ごろ撮影した写真で、梅田の地下道のあたり(❓)を撮影した写真です。

学校帰りに撮った写真なので、仕事帰りの人の姿が目立っていました。

「なぜ、疲弊してしまうのに人や街を眺めているのか。」

その問いの答えは多分自分が「本能的に求めている」からかもしれません。

尾崎が教えてくれたもの

あとその問いに対する答えがもう一つあるような気がします。

それは大好きなミュージシャン尾崎豊の存在です。

尾崎豊のことを知らない人が多いと思うので、wikiのリンクを貼っておきます😋

尾崎の歌詞には「街」「愛」というような単語がたびたび用いられています。

好きな尾崎の曲から好きな歌詞の一節を紹介したいと思います。

街の風景という歌の歌詞の最後の部分。

追い立てられる街の中 めくるめく日の中で 思い思いに描いてく 歌い続け 演じ続け 人生はキャンバスさ 人生は五線紙さ 人生は時を演じる舞台さ
心のハーモニー奏でよう ガラス作りの歌奏でよう 無限の色を散りばめた 街の風景

この歌詞を改めてじっくりと見つめてみると尾崎は街に対して、社会に対してどんなことを思っていたのだろうと思います。

熱い気持ちを秘めている自分

私はこの頃、熱い気持ち(形容しがたい気持ち)をどこにやったらいいか分からず悩んでいます。

けれど、尾崎のパフォーマンスを見たり聴いたりしていると、自分がしたいことをしてくれているようで落ち着きます。

熱い気持ち、真っ直ぐな気持ちを、嘘のない気持ちを表現したい。

そんな気持ちを持ち続けた自分で在りたい。

卒業するまで一つだけでもいいから、自分が納得いくような作品を生み出したい。そんな気持ちがあったからこそ、メディア表現学科を選んだのかなあと思います。

今回はここまで


次回は「まろやかでやさしい世界」について書こうと思っています。

次回は肩の力を抜いてみてもらえるかと思います。

長くなりましたが、記事を読んでくださってありがとうございました。